高沢秀昭さん(65)が語る伝説の「10・19決戦」 近鉄ナインの夢を打ち砕いた劇的な一発は「たまたま」だった
ノンフィクションライター・長谷川晶一氏が、異業種の世界に飛び込み、新たな人生をスタートさせた元プロ野球選手の現在の姿を描く連載「異業種で生きる元プロ野球選手たち」。第12回は、ロッテオリオンズや広島東洋カープなどで活躍した高沢秀昭さん(65)です。野球ファンには、伝説の一戦「10・19」で同点ホームランを放った姿を鮮明に記憶している方も多いでしょう。高沢さんは現在、社会福祉法人どろんこ会が運営する「大豆戸どろんこ保育園」で保育士として働いています。前編では現役時代のお話から伺いました。(前後編の前編)
1988年の首位打者にして、65歳の現役保育士
「はじめまして、高沢です」
エプロン姿で、その人は登場した。20代の女性が多い職場で、すでに60代を迎えた彼の姿は、ひときわ異彩を放っていた。ポケットから取り出したティッシュペーパーで男の子の鼻水やよだれを拭き、足元にまとわりついてくる女の子を抱きかかえ、よちよち歩きを始めたばかりの幼児のオムツを手慣れた手つきで替えている。そこには20名ほどの0歳児、1歳児が泣いたり、笑ったり、ぐずったりと、思い思いに、いや、好き勝手に過ごしていた。
かつて、その人がプロ野球選手であったこと。首位打者を獲ったこと。そして、プロ野球ファンの記憶に今も刻まれる「10・19」と呼ばれる世紀の一戦で、近鉄バファローズファンの夢を打ち砕くホームランを放ったことが、にわかには結びつかない。
現在65歳の高沢秀昭は、横浜市内の認可保育園で現役保育士として働いており、「昔から子どもが大好きだったので、ようやく夢がかないましたよ」と、屈託なく笑っている。現役時代は、ロッテオリオンズ、広島東洋カープ、そして千葉ロッテマリーンズに在籍した。プロ13年間で1005試合に出場し、932本のヒットを放った。1988(昭和63)年には、リーグ最多となる158安打を放ち、首位打者にも輝いた。
ロッテの中心打者として君臨し、現役引退後は指導者として活躍した彼が、どうして還暦を機に保育士を目指したのか? どうして、10代の若者たちに交じって専門学校に通い、慣れないピアノに悪戦苦闘しながら、保育士の資格を取得したのか?
「いろいろな人に驚かれますが、僕にとっては自然の流れだったんです(笑)」
60歳でユニフォームに別れを告げ、63歳で保育士となった。その胸の名札には、ひらがなで「たかざわひであき」と書かれている。改めて、高沢秀昭の野球人生、そして現在の保育士としての「たかざわひであき」の生活に迫りたい――。
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