暗黒時代の阪神で“いぶし銀”の活躍! 何度も「ノーノー」を阻止した男・久慈照嘉

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シーズン3度の“ノーヒット・スポイラー”

 シーズン3度の“ノーヒット・スポイラー”は、1982年の広島・山本浩二に次ぐ史上2人目の快挙。本人は「たまたまです」と謙遜するが、わずか1ヵ月余りのうちに3度も達成したのは、まさに“持っている男”。同年は遊撃手として全試合フルイニング出場をはたし、翌97年オフ、関川浩一とともに、大豊泰昭、矢野輝弘との交換トレードで中日へ。

 中日時代は、98年に二塁手、遊撃手として7年連続の規定打席に到達。99年はルーキー・福留孝介のサブに回ったが、4月28日の阪神戦では、あとシングルヒットが出ればサイクル達成の福留に代わり、7回からショートを守った。「チームが勝つには、久慈の力が必要」という星野仙一監督の絶大な信頼からだった。同年はプロ8年目で初のリーグ優勝を経験した。

 2003年には、その星野監督が指揮をとる古巣・阪神に復帰。「午後9時に久慈」と守備固めでチームに貢献し、同年と05年にリーグ優勝。05年の日本シリーズ終了後、3度目の優勝を花道に36歳で現役を引退した。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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