暗黒時代の阪神で“いぶし銀”の活躍! 何度も「ノーノー」を阻止した男・久慈照嘉

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ノーノ―まであと1人

 久慈は2年目以降、毎年同じポジションに“対抗馬”をぶつけられながらも、ショートの定位置を死守しつづける。“ノーヒット・スポイラー”として名を馳せたのは、藤田平監督時代の1996年だった。

 前年最下位に沈んだ阪神は、4月5日の開幕戦で、巨人・斎藤雅樹に1安打完封負けするなど、1勝2敗ペースが続き、早くも最下位が“指定席”となる。

 4月25日の横浜戦では、三浦大輔に6回まで無安打に抑えられ、7回に先頭打者・久慈がチーム初安打を放つも、1対10と大敗。5月18日の広島戦も、阪神打線はチェコに8回まで12三振を奪われ、2四死球のみの無安打無得点に抑えられていた。

 0対2とリードされた9回裏も、代打・高波文一は三振、新庄剛志は中飛で簡単に2死。ついにノーヒットノーランまであと1人となった。

 そして、29人目の打者・久慈が打席に。快記録達成なるかという場面で、広島の捕手・西山秀二は「久慈に変化球で行けば、チョコンのヒットがある」と警戒し、内角低め直球を要求した。その初球、148キロを、久慈は積極果敢に打ちに行き、左中間上空に打ち上げた。

「ようやった、久慈!」

 レフト・金本知憲とセンター・緒方孝市がすぐさま反応し、落下点に向かう。マウンドのチェコも「打ち取った」と確信し、ガッツポーズの両手を肩まで挙げかけた。

 ところが、俊足の緒方が必死に走っているにもかかわらず、なかなか追いつけない。最後はダイビングキャッチを試みたが、ボールは手前にポトリ(記録は二塁打)。久慈の打席を祈るように見つめていた甲子園の虎党は「ようやった、久慈!」とまるでサヨナラ勝ちのようなお祭り騒ぎとなった。

 直後、チェコは平塚克洋をこの日14個目の三振に打ち取り、1安打完封勝利も、史上19度目のあと1人から快挙を逃した不運な投手になった。「自分が最後の打席に入るのはわかっていたし、何とかしたかった」という久慈の執念が勝った形だ。

 話は、これだけでは終わらなかった。

 6月19日のヤクルト戦、阪神はブロス、伊藤智仁、高津臣吾のリレーの前に2安打完封負けしたが、ブロスから1回に中前安打、4回に左前安打を放ち、チームの全安打を1人で記録したのが、久慈だった。

 さらに同23日の広島戦でも、久慈は山崎健に1安打完封されたチームにあって、初回に唯一の安打となる左翼線二塁打を放っている。

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