暗黒時代の阪神で“いぶし銀”の活躍! 何度も「ノーノー」を阻止した男・久慈照嘉
“平成の牛若丸”
今季は打線がなかなかつながらない阪神。5月24日の巨人戦では、戸郷翔征にノーヒットノーランを記録された。球団創設以来12度目の屈辱だが、意外にも15年間で最下位10度を記録した1987から2001年までの“暗黒時代”は、1度もノーヒットノーランを許したことがない(正確には1965年の広島・外木場義郎以降、2006年の中日・山本昌までゼロ)。この間、何度も訪れた“あわやノーノーの危機”に際し、何度もチームの不名誉な記録を阻止した男がいた。【久保田龍雄/ライター】
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野球選手としては小柄(169センチ)ながら、俊足堅守で“平成の牛若丸”と呼ばれた久慈照嘉である。1992年にドラフト2位で阪神に入団した久慈は、開幕からショートのレギュラーポジションを掴み、121試合に出場。安定した守備力と巧打でチームの6年ぶりAクラス(2位)入りに貢献し、新人王を獲得した。
打率こそ.245と今ひとつながら、41四球と選球眼が良く、出塁率は.319。リーグ最多の8三塁打を記録し、犠打も24と、投手から見たら「嫌なバッター」だった。
そんな巧打者ぶりが、翌93年にも発揮される。
「久慈に1本出たな」
4月27日の中日戦、阪神打線は郭源治に8回まで12三振を奪われ、走者は四球の3人だけ。ノーヒットノーランまであと3人に追い込まれた。
9回の先頭打者は久慈だった。この日は3打数無安打に抑えられていたが、「記録はわかっていたし、何とか塁に出たかった」と必死に食らいつき、郭のシンカーを叩く。
打球はその執念が乗り移ったように、ファースト・落合博満のグラブをすり抜け、セカンド・立浪和義のダイビングも及ばず、チーム初安打となった。左翼席の阪神ファンはまるで決勝打が飛び出したかのように沸き返った。
1死一塁からオマリー二ゴロ併殺、パチョレック三振でゲームセットになったが、中村勝広監督は「郭は良過ぎた。変化球、キレ、コントロール、テーマを絞り切れなかった」と肩を落としながらも、「久慈に1本出たな」と安堵の表情を見せた。
同年の阪神は、投打とも前年の勢いがなく、5月5日の横浜戦でも、斎藤隆に8回1死まで無安打、代打・真弓明信の左越え二塁打でかろうじてノーヒットノーランを逃れている。結局、4位でシーズンを終えた。
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