「ノーノ―」大瀬良と「23年連続勝利」石川 エース二人が“自軍一筋”でFA権を行使しないワケ

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大瀬良とは正反対だった“悲劇のドラフト”

 さて、同じ週の2日、ノーノーとは違い、悠久の時を経た大記録が達成された。

 ヤクルトの石川雅規(44)が楽天戦で成就したのは、“入団以来23年連続勝利”。前人未到の領域である。

 石川が俎上に載った01年ドラフトは、大瀬良とは正反対の、悲劇という他ないものだった。

 青山学院大で3度、リーグ最優秀投手に輝いた石川は、当時採用されていた自由獲得枠で巨人に入団するはずだった。自由獲得枠とは、1巡目指名権と引き換えに、自球団入団希望の大学・社会人選手を無抽選で獲得できる制度だ。巨人のスカウトは石川を口説き、彼に「巨人でお世話になります」とまで言わせていた。

 ところが巨人は、長嶋茂雄監督(当時)の意向で、その年の夏の甲子園で最速記録をマークするなどして注目された日南学園・寺原隼人を1巡目指名する方針に転換。約束をほごにされてしまった石川は、やむなく自由獲得枠でヤクルトに入団した。なお巨人は4球団競合の寺原を抽選で外し、寺原はダイエーに入団した。

「好きで入った球団ですから」

 その後、石川はヤクルト投手陣の一翼を担ったが、獲得したタイトルは02年の新人王と08年の最優秀防御率のみ。ノーノーなど派手な記録も皆無だ。大きなケガもせず、23年間勝ち星を重ねたのは立派とはいえ、通算勝利数は186勝で、名球会入り基準の200勝にまだまだ足りない。ちなみに負け数は勝ち星と同じ186だ。

「凡庸とは言いませんが、“突出していない”ことこそが、彼が長く現役を続けられているポイントではないでしょうか」

 とは先のデスク。

「というのも、結果として年俸が高騰せず、貧乏球団のヤクルトでも雇用し続けることができましたから」

 たしかに、石井一久や岩村明憲、青木宣親らヤクルトの有名選手は、高給取りとなるや球団を去っている。一方、石川の今季年俸は6750万円。最盛期も2億円だった。

 また、

「大型補強しまくる金満球団や“投手王国”と呼ばれる球団だと、彼のような地味な投手は出場機会を奪われる。加えてヤクルトは選手に優しい球団で、容赦なくクビにしたりしない。もし彼が巨人に入っていたら、こんなに長くユニフォームを着続けることは決してなかったでしょう」

 巨人は、内海哲也や長野久義ら“巨人愛”選手を平気で放出する球団だ。王貞治は22年間も巨人に在籍し続けたが、そこは“世界の王”。その王の在籍期間をも石川は凌駕(りょうが)した。

 そんな石川だから、“スワローズ愛”も半端ない。

「FA権を取得した際も、彼は『好きで入った球団ですから』と権利を行使しませんでした」

週刊新潮 2024年6月20日号掲載

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