「虎に翼」よねのような“男装の麗人”は実在した? 専門家は「明治期の男装には三つのパターンが」

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明治期の男装には三つのパターン

 物語の序盤で重要な役割を果たしたよねだが、果たして彼女のような男装の女性は当時、実在したのだろうか。寅子のモデルが実在した日本初の女性弁護士の一人、三淵(みぶち)嘉子氏であるだけに、よねのほうも気になってしまうのだ。

 性社会文化史の研究者で明治大学非常勤講師の三橋順子氏に尋ねると、

「明治期から戦前にかけて女性の男装には三つのパターンがありました。一つ目は“防御としての男装”で、これは主に男性の性的な視線や性暴力から身を守るため。例えば、絵を嗜(たしな)む女性が郊外まで風景をスケッチしに出かける時に、男装していたという記録が残っています」

 二つ目は“社会に参加するための男装”で、

「これは政治活動などの男性が圧倒的多数を占めていた分野に、女性が潜り込むすべだったとされています。そして、三つ目はトランスジェンダーの方々の男装で、やはりこちらも一定数が存在していました」(同)

史実をきちんと反映

 ならば、よねの男装はどれに該当するのか。

「今のところの彼女は、その悲しい過去を踏まえれば、一つ目のパターンです。ただし、司法試験に受かるなどして社会に進出していけば、二つ目の意味合いが大きくなるでしょう。いずれにしても、よねの男装は史実をきちんと反映しており、かつ、女性の社会進出という物語のテーマにも沿っている。巧みなキャラクター設定だと思います」(同)

「虎に翼」で風俗考証を務める、時代考証家の天野隆子氏はこう語る。

「私は40年以上も昔、『おしん』の頃から朝ドラで考証を担当してきました。常に朝ドラは“女性の強さ”を表現してきたのですが、その描き方は時代と共に変遷しています。今回の『虎に翼』ほどはっきりと女性の社会進出をテーマに据えた作品は過去になく、そんな新味もヒットの一因になっているのでしょう」

 昭和初期に実在したであろう男装の麗人が、時を経て現代の朝ドラで注目を浴びる。まさに、テレビは時代を映す鏡である――。

週刊新潮 2024年6月13日号掲載

ワイド特集「カメラの裏側」より

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