西武・松井稼頭央監督だけじゃない…早々と辞任に追い込まれた“生え抜きスター監督”
32歳で「選手兼任監督」になったレジェンド
就任2年目の西武・松井稼頭央監督が5月26日に休養を発表し、渡辺久信GMが監督代行に就任した。現役時代は3年連続盗塁王に輝くなど、西武の主力として活躍。メジャー経験もあり、楽天時代も含めてNPB通算2090安打を記録した生え抜きスター監督のあまりにも早い交代劇はファンを驚かせたが、過去にも早々と退任に追い込まれた生え抜きスター監督が存在する。【久保田龍雄/ライター】
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1969年オフ、32歳11ヵ月の若さでプレーイングマネージャーに就任した阪神・村山実監督もその一人である。
1959、65、66年と3度にわたって沢村賞に輝き、前年まで通算197勝を記録した名門チームのエースは、69年オフ、次期監督候補・鶴岡一人氏の招聘に失敗した球団が「チーム100年の計に立って、あえて若い村山を監督にして育てていく」の長期的ビジョンを掲げ、新監督に指名された。同時期に南海・野村克也、西鉄・稲尾和久と30代前半の青年監督が相次いで誕生するという球界の新しい波に乗った感もあった。
だが、エースと監督の両立は容易ではなく、2年目の1971年に前年の2位から5位に転落。「昨年の汚名を返上する」と強い決意で臨んだ72年も、開幕から2勝6敗と大きくつまずいた。
「そろそろ指揮権を戻してほしい」
そんな苦境のなか、村山監督は4月21日、生真面目な性格そのままに「チームの立て直しを図るため、投手に専念する」と監督休養を発表し、指揮権を金田正泰ヘッドコーチに委ねた。
チームが不振から脱出した時点で指揮権を返してもらうつもりだったが、5月以降、チームが11連勝し、球宴時に首位に立つなど、日の出の勢いになったことから、話がおかしくなる。
「そろそろ指揮権を戻してほしい」と村山監督が再三申し入れても、球団側は「もう少し今のままで」と応じない。成績が上がれば上がるほど「金田体制のほうがいい」という皮肉な状況になっていった。
そしてシーズン終了後、村山監督は最後まで指揮権を取り戻せないまま現役引退を発表し、退団。「100年の計」はたった3年で終わりを告げた。
プレーイングマネージャーとして“二足の草鞋”を両立させるのは至難の業であり、2006年に就任したヤクルト・古田敦也監督もわずか2年で退任したように、野球が多様化、複雑化した現在においては、ますます厳しい状況になっている。
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