「私が撃ちました」 地下秘密工作員・中村が「国松警察庁長官狙撃事件」を自白するまでの攻防

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「警察庁長官狙撃事件を自白した男」として知られた中村泰(ひろし)。彼と事件との関係を初めて報じたのは「週刊新潮」(2003年10月30日号)だった。記事を出した時点では、拘置所内の中村への取材はかなわなかったのだが、発売直後、面会が実現する。ここで記者はあえて彼の自尊心をくすぐるような言葉を投げかけている。

 そこで見せた意外な態度とは――。塀の中の中村と20回近くの面会、80通以上の書簡を交わした記者、鹿島圭介氏の著書『警察庁長官を撃った男』をもとに、拘置所内での迫真のやり取りを見てみよう

(中村の特異な生い立ちやキャラクターがよく分かる実弟らの証言については前編〈「警察庁長官を撃った男」は筋金入りのプロ犯罪者だった あまりに特異な人物像を弟が証言〉で)

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 初対面のこの時、彼は、「週刊新潮」の記事が、当初、一時的に関連を疑われていた八王子のスーパーの事件にも触れていたので、厳しい表情で、「八王子の件はまったく根拠がない。それなのに、私の実名と顔写真を出し、あれだけのことを書いたのは、言葉による暴行ですよ」と苛烈(かれつ)な言葉を口にした。私に対して怒りを抑えきれない風であった。

 しかし、話が記事中の長官狙撃事件に移ると、冷静な表情になり、確かにこう言ったのだ。

「私のことを長官狙撃事件と結びつけて書いたのは、『週刊新潮』が初めてで、一誌だけですから、それについては、スクープとして認めてあげます」

 ならば、事件を告白するのか、と迫ろうとすると、中村の横にいる刑務官が、

「取材はしないように。取材はやめてください」とうるさく割り込んでくる。

 それに構わず、中村が語った。

「長官狙撃事件の特捜本部には、プロというか、分析できる者がいない。だから、重大な点を見落としてしまうんですよ」

「特捜本部は見落としていますか」

「見落としだらけです。たくさん、見落としています。警察だけではなく、マスコミもですがね。当事者の立場に立って分析しないと、この事件は理解できません。私にはそれができる」

「中村さんは、この事件についてはよく知っているということですか」

「そうです。誰よりもよく知っています」

 はやる気持ちを抑えながら、私は次の質問を繰り出そうとした。

「では、長官狙撃事件について、ご自身の口から……」

「ですから」

 と、中村が私の質問を遮った。

「私は長官狙撃事件については、否定も肯定もしない。だからこそ、客観的な分析ができるんです」

 否定も肯定もしない……。暗に認めているようにも思えるが、その実、何も言ってないに等しい空虚な響き。この言葉をどう受け止めればよいのだろうか。私はしばし呆然(ぼうぜん)としていたと思う。

「時間です。終了してください」

 面会時間の十数分はあっという間に経(た)ち、刑務官は二人に面会の終了を促すと、中村を椅子(いす)から立たせようとした。腰か片脚の具合が悪いのか、中村は苦悶(くもん)の表情を浮かべながら、席を立ち、面会室の出口に向かった。

 はっと我に返り、私はその後姿に声を投げかけた。

「私は、中村さんは歴史に名前が残る人だと思っています」

 中村の体がピタッと止まった。そして踵(きびす)を返すと、再度、ガラス板の方に戻ってくるではないか。彼はガラスに顔を近づけるべく、苦痛に耐えて身をかがめた。

「時間です。もう終わって」

 刑務官の言葉は意に介さず、私は言葉をつづけた。

「良かれ悪(あ)しかれ、中村さんは、歴史に名前が残ることになると思います」

 いずれ、長官狙撃事件で彼は立件されるであろうとの予測が私にこの発言をさせた。中村は感情を押し殺した、曰(いわ)く言いがたい表情でこう語った。

「私は歴史に名前を残したくなかった。表の世界には出たくなかった。それが、報道によって押し出されてしまったんです」

「時間です。もう終わりです。早く外に出て!」

 小さな面会室に響く怒声。とうとう、刑務官が怒り出してしまった。それでも、なお私は、中村に「また、会いに来てもいいですか」と確認した。

「いいですよ。でも、午前中に来たほうがいいですよ。面会は1日1回となっていて、先客があったら、無駄足になりますから」

 そう言うと、中村は扉の向こうへ消えていった。

取調官との攻防

(※「週刊新潮」の報道後、事態は大きく動き始める。むろん捜査当局も手をこまねいていたわけではない。そしてついに「自白」に至る。以下、再び同書より)

 2008年の春。捜査当局と中村の対決は新たな局面を迎えていた。

 大阪拘置所が用意した取調室。新たな組織体制のもと、明確な目的意識をもって、中村に臨む取調官。中村にも、捜査員たちが今までとは少し違う雰囲気を漂わせていることが感じ取れた。

 物言わぬ中村に、取調官が口を切る。それは、極力、感情が排除された語り口だった。捜査員は淡々と事実をありのままに説明した。

「我々は未解決の長官事件の真相を闇に葬ることなく、全容解明を果たしたいと思っています。そうして、あの事件が何であったのか、世の中に知らしめ、歴史の記録にとどめたい。そのために、これまであなたに繰り返し会いにきました。しかし、あなたは事件について犯行を事実上認めながらも、未だに調書の作成には一切応じてくれていない。

 このままでは、時間切れになる。たとえ将来、あなたが話す気になる時がやってきても、まもなく大阪の事件の判決が確定し、関連資料や身の回りにあった物品はすべて没収、廃棄されてしまいます。そうなると、もはや立証不可能で、検察も裁判所も、誰も相手にしてくれなくなるでしょう」

 取調官は概(おおむ)ねそのような内容のことを中村に告げた。中村は目線を少し落として、じっと相手の話を聞いていた。その内容を頭の中で反芻(はんすう)しているらしく、軽く頷(うなず)きながら、熟考しているようだった。

「真実が闇に埋もれないようにするには、近い将来の立証に備えて、今、任意で提出してくださっている資料も含めて、そのすべてを保全しないといけません。その許可状をとるためには、あなたの供述調書がどうしても必要なんです」

 真実が闇に埋もれる……。滔々(とうとう)とした口調で語られる、この当然の帰結が、逆に中村には曰(いわ)く言いがたい力をもって迫ってきた。

 実は、長官事件をめぐり、中村の心中はその前年より揺れ動いていた。

 このまま真相を明かさぬまま、人知れず歴史の闇に消えていく。それこそが、地下活動に専念する有能な秘密工作員のあり方だ、と中村は考えていた。しかし、元来が思想犯である。心の片隅のどこかで常に、あれだけの事件を完遂させた自分たちの軌跡を誇示したいという潜在的な願望があったのも事実だろう。

 誰にも割り出されるはずがないと過信していた名張の拠点を突き止められたことによって、捜査当局に長官狙撃事件との関連性を掴(つか)まれてしまった中村。しかも、それが「週刊新潮」に報じられ、世に知らしめられることになったのは前述のとおりだ。

〈もはや、自分は警察とメディアによって、歴史の表に押し出されてしまったではないか〉

 名古屋拘置所での面会の言葉を思い出すと、中村がこう思ったことは容易に想像がつく。はからずもそうなった今、それならむしろ、南千住署の捜査本部を主導する公安部によって捏造(ねつぞう)された虚偽の歴史を正すため、自らが真相を明るみに出して、事実を正しく是正するべきだとの考えに至ったとしても不思議ではない。

 彼の心のうちに芽生えた思い。それは決して一どきにではなく、徐々に徐々に、まるでガーゼにしたたり落ちた血の一滴が回りに滲(にじ)んで浸透していくように、静かに、ゆっくり広がっていったのであろう。

 もう気持ちは一方に傾いている。ほとんど決心は固まっていたのだ。あとは、何か一つきっかけがあればよかった。

〈自分とともにあった品々が消えてなくなる。それを阻止しなければ〉

「どうですか、中村さん。中村さん?」

 取調官の呼びかけに現実に引き戻される中村。

「どうなんですか。調書をとらせてもらえますか。本当にこのまま資料を廃棄されてもいいんですか」

 決意をもって取り調べに臨んでいたのは、捜査当局の側だけではなかった。中村もまた、ある重大な決意を固めて、この取調室に老いた体を運び、捜査員と対峙(たいじ)していたのだった。

「分かりました。調書の作成に応じましょう」

 その語調は決然としたものだった。長い闇夜がようやく明け、淡い陽光がさしてくる。捜査員たちはそう感じ、中村の言葉をかみしめた。思想犯である中村と、それを摘発する警察の、奇妙な共同作業が始まった瞬間でもあった。

 ***

 中村の口から語られた警察庁長官狙撃事件の動機、当日の詳細は驚くべきものだった。その全貌については後編〈「警察庁潜入は簡単だった」 国松警察庁長官狙撃事件を自白した秘密工作員の語った犯行の驚くべき一部始終〉でお伝えする。

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