「2回目のデビューのような感じがしています」NHK「紅白」出場者が立憲民主党の国会議員になった理由

国内 政治

  • ブックマーク

保育現場の課題

 そんな経歴を持つ奥村氏が、どうして政界に進出することになったのか。直接のきっかけは、保育士としての勤務経験にあった。

「アカペラの活動と並行して、2012年からは保育士の資格も取得し、現場で働いてきました。大学時代に保育園でアルバイトをしたことがきっかけで、資格をとりたいと考えていたんです。19年に落選してからも、つい先日までずっと保育の仕事をしていましたから、通算で言えば10年以上にわたって保育の現場の最前線で働いてきたことになります。その中で、遅々として解決されない様々な課題に直面したことが、議員になろうと考えたきっかけです」

 現場では、保育に関わるあらゆる業務を経験してきた。

「担任をもって、1人で20人を見ていたこともありました。配置基準が変わり、4・5歳児クラスの場合、保育士1人で見られる子どもの人数が30人から25人に減ったことが話題になりましたが、実際は20人見るのだって本当に大変ですよ。それから、園のシフトを組んだり、採用に携わったりしたこともあります。だから、実際の保育士が何を感じているのか、そして“いかに人出が足りていないか”といった構造的な問題まで、実感ベースでわかるんです。保育士の待遇、そして配置基準などの問題は、つい先日まで現場の最前線にいた自分だからこそ声を上げられることであり、変えていかなければならないと思っています」

アカペラの経験

 保育士としての目線から、議員としての思いを語る奥村氏。しかしそのルーツを辿っていくと、やはり根底には「アカペラ」の存在が大きいようだ。

「アカペラを始めたのは、大学に入ってからです。実は最初はリードボーカル担当だったんですよ。小柄だった私は声変わりも遅く、マイケルジャクソンさながらの高い声で歌っていました。それが19歳にして声変わりがやってくると、思うように歌えなくなる。そこでボイパに出会ったというわけです」

 所属したサークルでは代表を務め、やがて学生アカペラの中心的存在に。

「アカペラを広めたいという思いから、他大のアカペラサークルとも交流を深め、JAM(Japan A cappella Movement)という、今も続くアカペライベントも立ち上げました。そんな活動をしていたので、テレビ局の方ともやりとりが生まれ、ハモネプに第1回から出場するようになったんです。アカペラバンドのRAG FAIRにも既に加入していた頃なのですが、当時アカペラを教えていた高校生たちと組んだチームで出演することに。テレビの影響力は大きく、後にRAG FAIRがメジャーデビューできたのも、この番組で注目していただいたからこそだと思います」

 ハモネプファンには、第2回大会で「おっくん」率いる『レプリカ』が優勝したときのことを思い出す向きも多いのではないだろうか。

「第1回大会で負けて、“勝たなければいけない”状況下で迎えた第2回大会。一世一代の勝負という感じでした。ボイパ担当の自分が最後の最後で歌うというのも、私が考えた戦略だったんです。このときの仲間とは、今でも繋がりがありますよ。私が出馬するときには、レプリカのメンバーたちが集まってくれて、『初心忘れるべからず!』というメッセージがついたプレゼントもくれました。当時のライバルたちとも時々集まっています」

次ページ:5年前よりも……

前へ 1 2 3 次へ

[2/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。