【追悼】女性漫才の先駆者・今くるよさんの“飾らない素顔” 「いつもあのまんまで裏表がない」「小さな仕事も一生懸命」

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 今いくよ・くるよの漫才は華があった。登場すると舞台がぱあっと明るくなる。

 いくよさん(2015年に他界)は細身で厚化粧、笑顔が魅力的。ぽっちゃり体形に派手な衣装のくるよさんは、威勢よく腹をポンとたたく芸や、両手を顔の前で前後させ「どやさ」と声を張り上げるギャグが定番。二人は吉本興業の女性漫才コンビの先駆者だ。

 演芸評論家の相羽秋夫さんは振り返る。

「女性コンビは片方でも恋愛すると地方営業を嫌がり、やがてもめ始める、と吉本は女性を売り込まなかった」

 結成から10年ほど鳴かず飛ばず。1980年、漫才ブームの火つけ役にもなった「花王名人劇場」への出演により、突然、人気者に。

「話の広がりを聴かせるより、姿と動きを見せる漫才でテレビにぴったり。愛嬌があり、老若男女に万遍なく好まれた」(相羽さん)

書類審査で落ちたのに面接へ

 くるよさんは47年、京都市生まれ。本名は酒井スエ子。ふたりは当時の明徳商業高校でソフトボール部に所属した同級生で親友だ。いくよさんはキャプテンで、くるよさんはマネージャーだった。卒業後、ともに就職するが電機メーカーの事務を務めるくるよさんは急に漫才師を志す。いくよさんを誘い吉本のオーディションに応募。自身は書類審査で落ちたのに強引にも二人で面接へ向かった。

 漫才を演じる機会を与えられたが、「秋も深まったなあ」「何メートルぐらい?」のやりとりに面接官は「これは10年かかるわ」と絶句。「ええ会社に勤めてるのにやめとき」と親身になって諭すも、二人は根性を試されていると感じ、立ち向かう体育会系の魂が燃えた。

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