【追悼】マッカーサーから勧められた夢のような食事、ルビー・モレノとの訴訟・和解、65歳で慶大に再入学…稲川素子さんが語っていた「凄すぎる人生」

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鋭利なハサミを脚に突き立て睡魔と戦った

――がむしゃらに働き事務所を育てた稲川さんは65歳で、新たな挑戦を始めた。一念発起して、かつて病気で中退した慶応義塾大学文学部に再入学したのだ。

 最後まで大学を終えられなかったことがずっと気になっていたんですが、いざ始めてみると、仕事と学業の両立はとても大変でした。

 例えば、これをパスすれば卒業論文の指導を受けられるという英文法のテストの前日。外国人タレントがロケ現場に遅刻して、撮影が飛んだことがありました。

 必死にお詫びして、家に帰ったのは夜中の12時半。机に向かいましたが睡魔におそわれ、モーツァルトが眠らない為にナイフを脚に立てて作曲をしたという逸話を思い出したんです。

 私は鋭利なハサミを脚に突き立て睡魔と戦ったんですが、ハサミのことばかりが気になってうまくいきません(苦笑)。

 そこで、20センチくらいの蜂蜜付けの朝鮮人参を刻んで全部口に押し込み、栄養サプリメントを15個も飲んで机に戻りました。

 そしたら、自分では気がつかないんですが、ハイテンションになって、大声で独り言をいいながら例文を覚え続けていました。

 ふと時計を見ると午前9時、試験開始は9時半。飛んでいって、何とか試験を受けることが出来ました。覚え立ての記憶が功を奏し、A評定で合格したので、卒論も無事に書き上げ、70歳で卒業できました。

東京大学大学院の博士課程も満期修了して、博士論文を書き続けています

 鉄は熱いうちに打てとばかりに、今度は東京大学大学院の修士課程を受験しました。自分なりに努力しましたが結果は1次試験で不合格。

 それでもあきらめきれず、3度目の挑戦でついに合格を勝ち取りました。修士課程は全優の成績で、博士課程に残していただきました。

 現在は博士課程も満期修了して、博士論文を書き続けています。

 論文のテーマは、外国人タレントと仕事をする為に東京入国管理局に通い詰めた体験を横糸にして、学問で得た知識を縦糸にして織ったような私にしか書けない論文「戦後日本の入国管理政策の変遷と課題」としました。

――79歳の時には大腸ガンが見つかり、余命2年を宣告されるも、精一杯な生き様は病魔も追い払った。

 今年の1月にも風邪をこじらせて肺が炎症を起こして、一時は人工呼吸器につながれるほど重篤になりました。

 再び命をいただいたからには、最後の日々をどう過ごすかを考えています。

 この間、道を歩いていたら、知人に「稲川さん、そんなに歳なのに、なんでいつもルンルンしているの」って聞かれたんです。

 私は「歳なのにと言うのは何ですか?若くて生々しい木よりも、枯れ木の方がどんどん燃えるじゃない」って答えたんです。

 今の目標はもちろん博士論文の審査が通ること。

 それと、長年続けてきた社交ダンスでは、縁あって公益財団法人「日本ボールルームダンス連盟」の会長も任せられていますから、社交ダンスをもっともっと普及させることも使命だと考えています。

 新型コロナウイルスの流行で大変な時世ですけど、人生にはいろいろな障害物があります。

 だけど、その障害物は自分が乗り越えてもっと輝くために砥石の役をしてくれていると思うことにしています。

 コロナも私にとっては一つの砥石です。磨いてもらってますます輝ける人間になれたらよいですね。

デイリー新潮編集部

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