【追悼】マッカーサーから勧められた夢のような食事、ルビー・モレノとの訴訟・和解、65歳で慶大に再入学…稲川素子さんが語っていた「凄すぎる人生」
ルビーは今、本当にまじめに頑張っていますよ
ところが、計画的にやった事でもないので、所属タレントはゼロ。仕事は次々といただくんですが、供給が間に合わない状態。
これは自分でスカウトするしかないなと思い立って、六本木の交差点に立って「ジーッ」と行き交う外国人を見て、「この人は」と思えば片っ端から声を掛けましたね。
黄金期だったディスコもスカウトするには最適でした。お立ち台に立って踊ると、全体を見渡せるので、いつもお立ち台の上から「誰か良い人いないかな」って探してましたね。
ある時、社長の役を探してほしいと依頼があって、いつものように街中で探していました。
スカウトはまるで警察官の張り込みのようなものです。
「この人は社長にはちょっと若いから、部長かな」なんって見ているうちに、「あの人なら社長そのもの」っていう人がいたんですね。
それで話しかけてみたら、本当に有名なタイプライターメーカーの社長だったんです。
そんな事が何回もあって、私はその人の顔は、その人の「人生の履歴書」なんだと考えるようになりましたね。
――現在も148カ国・約5000人の登録があるという稲川事務所。稲川さんが発掘しスターに育て上げた1人が、女優のルビー・モレノだ。映画「月はどっちに出ている」(1993年)で、ブルーリボン最優秀主演女優賞を受賞するなど、多くの賞レースを制し高い評価を受けながらも、一時は金銭問題や仕事のドタキャンを繰り返す「トラブル女優」としても話題になった。
ルビーは今、本当にまじめに頑張っていますよ。
だから昔のことはもうあまり言いたくありません。彼女もきっと、そう思っているでしょう。
ルビーが私を訴えて、裁判所で再会することになりました
最初に出会ったのは、フィリピン人の女の子たちが共同で暮らしていた部屋だったんですけど、ルビーはちょうど寝ていて、その寝顔がバンビちゃんみたいに本当に可愛かったんですよ。
エキストラに出してみたら、どんどん人気が出てドラマや映画で活躍するようになったんだけど、だんだんわがままになっちゃってね。
問題が絶えなくなって、突然フィリピンに帰ってしまいました。
しばらくすると、なんとルビーが私を訴えて、裁判所で再会することになりました。
こちらが訴えるなら分かるんですが(苦笑)裁判所に行きましたら、ルビーが私を見つけて、相変わらずとても可愛い笑顔で盛んに手を振っていました。
ルビーと弁護士が先に法廷に入って、終わると私と顧問弁護士が呼ばれました。
そしたら、裁判官が「訴えが取り下げられているので、この訴訟は無効です。理由は訴える根拠がないということです」って言ったんです。
家に帰ると、ルビーから「会いたい。裁判でもしなきゃ素子さんに会えないと思った」と電話が来ました。
それで話し合いの場を持って、「人に迷惑を掛けたらごめんなさい、お世話になったらありがとうと言う」と条件を出して、「もう一回頑張ろう」と伝えました。
その時、ルビーは机に手をついて「素子さんごめんなさい。ご迷惑をかけました。これからのルビーはもう違うよ」と言ってくれました。ちょうど放蕩娘が帰って来たときのように、何もかも嬉しさに変わりました。
現在はルビーの息子さんも大きくなったので、きっと親孝行をしてくれますよ。素晴らしいご主人とも巡り会えて、これからの人生は、家族の幸せを大切にしてほしい。
ルビーの人生の前半は波瀾万丈でしたが、後半は和やかな幸せな一生を送れるよう祈ってます。そしてもう一度、アカデミー賞を取るような名演技を皆に見せてほしい。
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