「奴隷の立場をわきまえて…」田村瑠奈被告にひれ伏した“実母”の初公判…“瑠奈ファースト”のおぞましい実態とは

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瑠奈被告と似た“整った顔立ち”

 浩子被告が用意した紙を読み上げたのち、弁護人も認否を述べた。曰く、浩子被告は、娘が男性の頭部を自宅浴室に隠匿しているとは思っておらず、隠匿を容認もしていなかった。娘を咎めてもおらず通報もしていないが、容認する発言もしていない。さらに「ビデオを撮影しながら、娘が男性の頭部を損壊する」という計画は、娘から聞いておらず、その計画も容認していない。瑠奈被告に撮影を求められ、夫の修被告にこれを頼んだが、まさか頭部の損壊が行われると知って撮影を頼んだわけではない……のだという。

 そんな罪状認否が終わるや否や、数人の報道記者が急いで席を立ち、法廷を飛び出していった。出入りの物音が騒がしい。重大事件の判決で「主文後回し」と言われたときのごとく、落ち着かない。一般傍聴席にも、報道機関の記者が多数座っているようだ。

 さきほどまで、小さく澄んだ声でメモを読み上げていた浩子被告は、ゆっくりと弁護人の前の長椅子に戻り、腰掛けた。まっすぐ前を見つめる目元には眼鏡がかけられており、瑠奈被告と似た、整った顔立ちであることがよくわかる。薄いスモーキーブルーのロングスカートに薄いキャメルのカーディガンを羽織り、ロングヘアを後ろでひとつに結んでいた。上下スウェットでもなく、裁判員裁判で見かけるようなリクルートスーツでもない。髪には白髪が交じるものの、実年齢よりもはるかに若く見える。

<奴隷の立場をわきまえて、無駄なものに金を使うな>

 双方の冒頭陳述によれば、浩子被告は北海道で生まれ、大学を卒業したのちに美術館で働き、修被告との結婚翌年に瑠奈被告を出産。その後はおもに専業主婦として生活していた。事件の少し前からアルバイトを始めたそうだが膝を骨折し、事件当時は休職中だったという。

 精神科医の夫と無職の娘との3人暮らしは、それなりに安定した幸せなもののように思えるが、実際のところ、平穏とはかけ離れた家庭だったようだ。検察官が冒頭陳述で“瑠奈ファースト”と指摘した通り、浩子被告と修被告は「幼少の頃から、叱ることも咎めることもなく瑠奈を溺愛し、成人後も瑠奈の要望を最優先し、望むものを買い与えていた」(検察側冒頭陳述より)という。

“瑠奈ファースト”には際限がなかったようだ。3階建ての自宅は、瑠奈被告の求めに応じて買い与えた物がひしめき合って、足の踏み場もなく、浩子被告は2階リビングのわずかなスペースだけで過ごし、修被告はネットカフェで寝起きしていた。夫婦は瑠奈被告を“お嬢さん”と呼んで敬語を使い、毎日の食事も瑠奈被告の食べたいものを準備していた。

 中学の頃から不登校となり、以降、仕事をせず自宅に住み続けていた瑠奈被告は、自分の持ち物の向きが変わっていた、という些細なことで両親を叱責した。修被告の運転中にもその首を絞めながら叱責し、浩子被告について「売り飛ばせばいい、さっさと売れや」と修被告に告げるなどしていたが、ふたりは娘のそうした振る舞いに怒ることもなく、謝っていた。

<お嬢さんの時間を無駄に使うな。奴隷の立場をわきまえて、無駄なものに金を使うな>

 娘に「お母さん」ではなく「彼女」と呼ばれていた浩子被告は、そんな内容の誓約書を書かされていたという。いっぽう娘に「ドライバーさん」と呼ばれていた修被告は、クラブや怪談バーなどへの娘の送迎を行っていた。家庭において瑠奈被告は「圧倒的上位者」(検察側冒頭陳述より)だったという。

【後編】では、凄惨な“事件”の目を背けたくなるような詳細と、娘の“奴隷”となった実母が味わった悪夢の日々が明らかになる。

高橋ユキ(たかはし・ゆき)
ノンフィクションライター。福岡県出身。2006年『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』でデビュー。裁判傍聴を中心に事件記事を執筆。著書に『木嶋佳苗劇場』(共著)、『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』、『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』など。

デイリー新潮編集部

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