ドリカム中村が明かす35年の軌跡 「300曲あるとすれば290曲は聴かれていない。トップ10の曲でドリカムは成り立っている」

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シンガー・ソングライターではなくバンドで

 だからこそ、シンガー・ソングライターでのデビューを模索していたわけだが、世には多くの女性シンガー・ソングライターがおり、ブームも一段落しようとしていた頃。「業界的にも吉田美和という素材に興味が示されなかった」と中村は述懐する。

 時を同じくして、TBS「平成名物TV」の1コーナー「三宅裕司のいかすバンド天国」(イカ天)によるバンドブームがにぎわっていた。

 さらに英国ではカルチャー・クラブ やスウィング・アウト・シスターといった“ブルーアイドソウル”が盛り上がっており、「僕もジャズやソウルをベースにしたバンドを組んでいたので、そういう形態に吉田の歌を乗せれば人々に届くかな、と考えた」という。

 当初は中村と吉田の二人で「CHA-CHA&AUDREY's Project」として活動をスタート。その後、吉田と同じ北海道・十勝エリアの有名ミュージシャンとして活動していたキーボードの西川隆宏(60)を招聘。後に「僕自身、この名前はイケてないなと思い」、DREAMS COME TRUEに変更した。

 六本木のライヴハウスで毎週ライヴを行いながら、中村は以前から個人のデモテープなどを渡していたプロデューサーに、3人によるデモテープを渡した。この音源が気に入られ、レコード会社へ持ち込まれることに。同社の関係者が3人を見に、六本木のライヴハウスを訪れた際には、「お客さんがいないから、わざわざお店のスタッフが私服に着替えてサクラをやってくれたほど」。

 デビューにゴーサインが出たものの、「全然順風満帆じゃなかった」と当時の苦い思いを吐露する。

「これ、誰だ?」

 このレコード会社には当時、2つの班があったという。コンスタントに売れるアーティストを手掛ける班と、これに比べて派手さはないものの根強いファンを持つアーティストを手掛ける班。ドリカムは後者に入れられた。

 1989年3月21日、シングル「あなたに会いたくて」とアルバム「DREAMS COME TRUE」でデビュー。このレコード会社ではアナログレコードが作られず、CDだけの発売でデビューした最初のアーティストとなったが、中村の中では「(レコード会社は同じデビュー日のアーティストに注力していた」という思い出があるという。

 だがそのうち、同社内で、制作チームのデスク陣のラジカセ からドリカムの曲が流れるようになった。フロアに来た幹部が「これ、誰だ?」と問いかけ、「うちでデビューしてますよ」というやり取りすらあったほど、社内でも知られない存在だったという。

 ある種の手応えを感じさせるようなエピソードだが、それでも「力を入れてもらってなかったとか重きを置かれてなかったというのはすごく感じていた」と中村。実際、デビューシングルはオリコンチャート入りせず、中村が吉田との出会いの際に聴いて感銘を受けた3rdシングル「うれしはずかし朝帰り」(同年9月1日発売)も最高位49位にとどまった。同年11月発売の2ndアルバム「LOVE GOES ON…」はトップ10入りしたものの、それでも「売れた実感はなかった」という。

「以前、麻倉未稀さんのバックバンドをやっていたことがあって。彼女のシングル『黄昏ダンシング』がオリコン12位に入ったとき、キングレコードは社を上げてヒットを祝っていて。ヒットするとはこういうものか、という思いがあっただけに、すねてるように聞こえるかもしれないけど、誰にも喜ばれず寂しかったんで、ヒットの実感がないままだったんでしょうね」

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