蓮舫氏はフェアレディZで青学へ通学、小池知事は雑誌「Hanako」で…1988年は2人にとって大きな転機だった

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「お嬢さま」を強調した記事

 テレビ番組のアシスタントという“下積み”を経てキャスターに就任したため、小池氏は少しずつ知名度を上げていった。一方の蓮舫氏は「クラリオンガール1988」に選出されたため、芸能界にデビューした時点で大きな注目を集めた。

「クラリオンガールはアグネス・ラムさん、烏丸せつこさん、宮崎ますみ(現・萬純)さんなど、人気芸能人を多く輩出してきた有名コンテストでした。そのため注目度が高く、蓮舫さんは前年の87年8月から『88年のクラリオンガールが決定』とメディアに取り上げられ、88年にはテレビドラマやCMに出演するなど芸能人として“スタートダッシュ”に成功しました。何しろ5782人の応募者から選ばれ、台湾人の父親と日本人の母親を持つハーフ、青山学院大学法学部の現役学生で、大学にはフェアレディZで通うといったメディアが記事にしやすい要素をたくさん持っていたのです」(同・記者)

 例えば、男性向けの月刊誌のGOROは1987年11月26日号に蓮舫氏のインタビュー記事を掲載。「小学校から青山学院に通っていたお嬢さま」と強調され、貿易商の父親はかつてロールスロイスを所有したことがあり、母親はベンツ。自身の愛車は《フェアレディZですけど、真っ赤なポルシェが欲しくって》と答えている。

30年後の舌戦

 デビュー当初、蓮舫氏は「女優志望」と紹介されていたが、彼女が女優や歌手を本業にすることはなかった。活動方針を転換し、かなり早い段階でテレビタレントとして活躍するようになる。

「当時、彼女の主戦場はバラティ番組のアシスタントでした。そして出演実績を積み重ねるうちに、転機となった1992年が訪れます。蓮舫さんだけでなく小池さんの人生も大きく変わりました。まず小池さんは、92年6月に『ワールドビジネスサテライト』を降板し、7月の参議院選挙に日本新党の公認候補として立候補して当選。一方の蓮舫さんは、4月にTBS『3時にあいましょう』のメインキャスターに就任しました。男性キャスターをサポートする役回りではなく、蓮舫さんがメインキャスターとして番組を進行したのです」(同・記者)

 これがきっかけとなり蓮舫氏の主戦場は報道・情報番組となった。93年から95年にかけてはテレビ朝日の「ステーションEYE」のメインキャスターを務めた。

「その後、蓮舫さんは結婚や出産のためテレビ業界から距離を置きます。そして2004年7月の参院選に民主党から出馬して当選しました。小池さんと蓮舫さんは世代こそ違いますが、80年代後半から90年代前半まで、いわゆる“女性キャスター”が注目を集めたことを上手く利用して“知的な女性”というイメージを演出。そこからさらに政治家になったという共通点を持っています。あれから30年以上の歳月が流れ、今回の都知事選で2人は舌戦を繰り広げるのでしょう。往時をよく知る50代以上の都民にとっては、感慨深いものがあるのではないでしょうか」(同・記者)

註1:小池百合子氏と蓮舫氏“女傑が激突”7・7、都知事選 石丸伸二氏も参戦で大混戦へ「いい勝負になる」「カギは無党派層」(夕刊フジ電子版:5月27日)

デイリー新潮編集部

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