ファミコン世代、記者との会食では…三笠宮瑶子さまの知られざる素顔

国内 社会

  • ブックマーク

“ファミコン世代”らしさも

「ファミコンのソフトをよく貸していただきました。たくさんお持ちだったんです」

 幼少時から瑶子さまと交流のあった、ある会社員はこう明かす。しつけに厳しい印象の寛仁さまのもとで武道に打ち込んだ硬派なイメージが強いが、「ファミコン世代」といったいかにも現代っ子らしいエピソードである。

 他方で大学卒業後は、公私両面から障害者福祉に尽力。06年12月から12年11月まで日本赤十字社で働き、ボランティアや献血の仕事にかかわった。13年8月、聴覚障害者や高齢者にも快適な社会を実現させるために活動する、一般財団法人国際ユニヴァーサルデザイン協議会の総裁に就任し、14年1月からは社会福祉法人友愛十字会の総裁にもなっている。

 16年の7月から8月にかけて成田発の民間機で米国を訪れ、国際応用人間工学会議に出席。講演も行っている。国際会議への出席は初で、あわせてインクルーシヴ デザイン国際会議にも出席しているが、いずれも同協議会の総裁として出席したものだった。

 難聴者向けスピーカーの研究開発や普及、難聴について理解を深めるセミナーを開くなど国内で難聴者を支援しているNPO法人日本ユニバーサル・サウンドデザイン協会の名誉総裁の職にも21年12月1日付でついており、22年7月には同名誉総裁として仙台市の福祉プラザを訪れ、寛仁さまが生前総裁を務めた社会福祉法人ありのまま舎が主催するありのまま自立大賞の授賞式に顔を出している。式典では、自ら聴覚障害を抱えながらも耳鼻科専門医を目指す一般医の受賞を讃えた。瑶子さまご自身も、感音性難聴である事実をカミングアウトしたのはこの頃だ。

「実父の遺志を継いだ障害者福祉と自身の闘病がシンクロして、活動の動機付けがはっきりしたのでしょう」(前出の宮内庁OB)。

有志の記者と会食

 外遊ではほかに、19年12月に成田発の民間機でミャンマーの最大都市ヤンゴンを訪問。太平洋戦争中に戦没した旧日本兵が多く埋葬されている日本人墓地で献花した。これは今上天皇の即位礼正殿の儀の後に催された祝宴「饗宴の儀」で同席したアウンサンスーチー氏から招待を受け、応じたものだった。

 国立社会保障・人口問題研究所の統計では、日本人の生涯未婚率は年々上昇を続け、20年時点で女性は18%と過去最高を記録。直近の20年間で急激に増加している。

 瑶子さまは今年、41歳になるが、転職サイト「doda(デューダ)」を運営する人材紹介サービスのパーソルキャリアによると、21年の40代女性会社員の平均年収は402万円。24年度に国から瑶子さまに支払われる生活費は640万円、同世代のOLを6割余り上回る。

 宮内庁関係者は「生活にはお困りにならないレベルです」とした上で「お父さまのような個性的な男性に巡り合われることは難しく、どうしてもパートナーが欲しいというお気持ちにはならないまま過ごしてこられたのではないでしょうか」と推測する。

 マスコミ関係者は「彬子さまは本を何冊も出版し、被災地支援のクラウドファンディングを募ったり、手記で実母を暗に批判したり、とにかく発信力がある。控えめなイメージの瑶子さまとは対照的です」と前置きした上で、こう回顧する。

「瑶子さまに自己表現の場をお作りしようと、周囲が密かに有志の記者たちと会食をセッティングしたことがありました。ただ会食中もやはり言葉少ない控えめな方でした」

「ご姉妹は凸凹ぶりがいいコンビでしたが、オトトさま(=父親を意味する宮中用語)という絶対的羅針盤が亡くなり、一枚岩でなくなっているようです」(同OB)

朝霞保人(あさか・やすひと)
皇室ジャーナリスト。主に紙媒体でロイヤルファミリーの記事などを執筆する。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。