「義援金5万円が分配されていない人も」 被災地の「輪島朝市」で泥沼内紛が起きていた
組合の事務所は全焼
能登半島地震から5カ月が過ぎた。徐々に被災地は復興への歩みを進めているが、立て直しが重要なのは生活インフラや建物だけではない。能登のシンボル「輪島朝市」では組合員が訴訟合戦、互いをののしり合う泥沼内紛の最中にある。“絆”の復興はいつ――。【前後編の前編】
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断水世帯はいまだ2100戸余り。避難生活者の数は3500名超。それぞれ最大時の11万戸、3万人と比べて随分と減ってきてはいるものの、この数字を見れば、まだ復旧の最中、復興はようやく緒に就いたばかりといったところだろうか。
6月1日で発生から5カ月を迎えた能登半島地震・被災地の現状だ。
中でも最も甚大な被害を受けた石川県輪島市では、断水世帯は約880戸、844名が避難生活を続ける。
随一の観光名所「輪島朝市」も揺れによって生じた火災で約300棟が焼損し、今も“焼野原”の状況が続く。その荒涼とした光景は、逆に復興の困難さを雄弁に物語っているのだ。
輪島朝市にはそこで露店や店舗を営む190名超のメンバーで構成される「輪島市朝市組合」があり、市から道路の占有許可を得ている。
朝市のさる関係者によれば、
「地震で組合の事務所は全焼し、銀行の通帳も印鑑も組合員名簿も燃えてしまいました。もちろん営業は再開のめどが立っていませんが、一部のメンバーは金沢や神戸などで『出張朝市』を開いています」
輪島市は朝市を「市を代表する観光資源」と位置付け、再開を目指して支援する方針だ。
組合員一同、一体となって復活へまっしぐら、といきたいが店主の高齢化で店の再建がどこまで進むか。そもそもそこに至るまでの生活の糧をどう確保するか。難問は山積みなのだ。
「組合は、納得できないことばかり行っている」
そして新聞やテレビが報じない、もうひとつの難題もある。
先の関係者が声を潜めて言う。
「実は、朝市組合はここ数年、メンバー同士がもめ、片方の派が追い出されて同じ『輪島朝市』を冠するNPO法人を作っています。以来、多数派の組合と少数派のNPOが、お互いに訴訟を繰り返し、罵倒し合っている。震災後にそれはエスカレートし、輪島朝市を冠する震災の義援金の窓口が並列する状況なのです」
輪島朝市は、天皇皇后両陛下が慰問し、また、前出の出張朝市が殊にメディアに取り上げられてきた「能登半島地震」復興のシンボルでもあるが、その裏で一体、何が起こっているのか。
まずは、追い出された方の言い分を聞いてみよう。
「組合は、納得できないことばかり行っている」
と憤るのは、NPO法人「輪島朝市」のさる幹部・A氏だ。
「彼らは規則に基づかず、組合員の声も聞かずに一部のメンバーの利害だけで動こうとし、都合の悪い者は排除している。こうした状況に疑問や不信感を持っている組合員は多いですよ」
輪島朝市は日本三大朝市の一つ。歴史は1200年以上に及ぶ、日本最古の朝市だ。海岸部に近い全長360メートルの「朝市通り」に商店が並び、その軒先に朝8時から正午まで100店以上もの露店が出て、鮮魚や干物、加工海産物などを売る。コロナ禍前で年間50万人もの客が訪れた、能登半島の一大観光地である。
「組合はつい5年ほど前まではみな団結していました」
とA氏が続ける。
「当時の組合長は、これまで曖昧だった規則を整備し、長老が“こんなもんや”みたいな調子で進めていた運営体制を、みんなが平等に関われるような形に改善してきたんです」
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