「苦しかった人生を抜け出す方法が見つかったのに、今はそれを妻に咎められてます」47 歳夫の告白 “エロスの深さを知った果てに…”

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「僕は欲望にまみれて生きていきたい」

 父にはたまに会っていた。アパートの奇妙な人々の話をすると、父はなぜか喜んで聞いてくれた。父も「普通の」生活をしてみたかったのではないか、生活の苦労を味わってみたかったのではないかと彼は振り返る。

「持たざる者の不幸はあるけど、苦労なく持ってしまった者の不幸もあるのかもしれないと父を見て感じていました。父には何の欲望もなかった。生きる意味が見いだせないままだった。何が幸せかわからないけど、僕は欲望にまみれて生きていきたいと漠然と思っていました。ただ、上昇志向がなかったので、欲望はあるけど達成はできない。そんなタイプでしたね」

 大学を卒業後は、中堅企業に就職。仕事はまじめに取り組んだが、自分にはどこか「やる気」がないとわかっていた。父を見て、自分は欲望にまみれて生きたいと願ったが、しょせん「いいところの坊ちゃん気質」は抜けていないのだろう。そういえばサッカーをやっていたころも、他人を出し抜いてレギュラーになりたいとは思わなかった。自分は自分でがんばる。その結果、レギュラーになれないなら才能も努力も足りないだけだと感じていた。競争心が基本的にないのだ。

「父の血筋だからなあと思いましたが、兄ふたりは競争心を前面に出すタイプだった。結局、僕だけがダメなんだと落ち込みました。どうやって生きればいいかわからない。20代後半になってからものすごく悩みました。本来は思春期に悩むものかもしれないけど」

 彼は会社帰りに図書館に寄り、国内外を問わず、有名な小説を片っ端から読んでいった。いわゆる世界の文学作品だ。主人公の気持ちになったり、傍観者になったりしながら小説に入り込んでいった。

「まる2年、仕事以外はずっと本を読んでいました。漫画しか読まなかった僕が、なぜか小説に目覚めた。その中でもフランス文学のマルキ・ド・サドに惹かれました。日本の作家だと谷崎潤一郎。圧倒的なエロスに興味がわいたのだと思います」

 それまで彼は、ほとんど恋愛もしてこなかった。「恋愛感情」というものが理解できなかったのだという。異性に対して好悪の感情はあるが、恋愛感情となるとどういうものなのかがわからない。特定異性にドキドキしたり、もっと知りたいのにすべて知るのは無理だとわかって嘆いたり、いわゆる理不尽ともいえる恋愛感情を味わうことなく生きてきた。

「それが小説のストーリーや主人公に思い切り感情移入して、疑似体験をしている自分に気づいたんです。エロスの深さに夢中になりました。とはいえ、自分が過激な性的体験をしたいと思ったわけでもないんですが……」

 彼の日常生活は表面上、何も変わらずに続いた。

「一緒に生活するのに違和感がなさそう」

 33歳になるころ、慕っている職場の先輩から「妻の親戚の女性に会ってみないか」と打診された。そろそろ自分も結婚する年齢なのかと彼は他人事のように考えたという。

「まあ、結婚したほうが生きやすい世の中なら、それでもいいかなと。ただ、僕は親から見放されたようなものだし、わが家の資産を目当てにされても困る。たぶん財産は放棄させられるでしょうから。先輩は、そのあたりの僕の家の事情も知っていて、資産を目当てにするようなタイプではないからと言ってくれました」

 先輩夫婦と彼女と4人で食事をした。麻央さんというその女性は、亮吾さんより2歳年下、資格をもって専門職についていた。明るくて笑顔がチャーミングで、こんな人が隣にいたら楽しいだろうなと亮吾さんは想像した。

「その後、ふたりでデートして3回目に、僕は結婚を申し込みました。彼女といてもドキドキしなかったから、恋愛感情が芽生えたわけではないかもしれないけど、一緒に生活するのに違和感がなさそうだと思ったんです」

 先輩にも報告すると大喜びされた。だが彼は結婚式を挙げるつもりはなかった。麻央さんに親との関係や育った家庭環境について話すと、「私は式なんてどうでもいいわよ」とあっさり言ってくれた。友人と職場関係の人だけを呼んで簡単な食事会を開いた。麻央さんはうれしそうだった。

「最初に会ったときから、あなたには違和感を覚えなかったと麻央が言ったんです。僕とまったく同じことを感じていたんだなとうれしくなりました」

 麻央さんは、ごく普通のサラリーマン家庭で育った。3歳違いの妹とは親友のように仲がいい。家族仲も良好で、その雰囲気に居心地のよさを感じた亮吾さんは、結婚前から、麻央さんが仕事で遅くなるとわかっていながら、彼女の実家を訪れることもあった。

「大騒ぎするわけでもなく、特別扱いするわけでもなく、『あーら、いらっしゃい。ごはんまだでしょ』というおかあさんなんです。僕が行くと、おかあさんからおとうさんに連絡がいって、『一緒に一杯やろう』と伝言が入る。そのうち妹が帰ってきて、おとうさんが帰ってきて世間話をしながら食事をする。残業で遅くなった麻央を待たずに僕が帰ることもありました。来るなら早めに言ってよといわれましたが、麻央がいようがいまいが、ふっと足を向けたくなる家なんですよ」

 結婚生活は予想通り、とても気楽で楽しいものとなった。麻央さんは話題が豊富だし、彼も読書で培った知見がある。休日には麻央さんの実家に寄って、犬を連れ出して散歩させたり、ふたりでプロ野球を観に行ったり。今までしてこなかった「普通の楽しみ」を亮吾さんは満喫していた。

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