「苦しかった人生を抜け出す方法が見つかったのに、今はそれを妻に咎められてます」47 歳夫の告白 “エロスの深さを知った果てに…”
人には秘めた欲望が眠っていることがある。あるいは、自分自身ですら気づいていない欲求が体内で息をひそめているかもしれない。何かの拍子にそれが覚醒すると、自分でも止められなくなる可能性もある。
【後編を読む】あの日、僕の人生観が変わった。体の奥からマグマが噴出するように…妻から「変態!」と罵られた47歳夫の苦悩
藤枝亮吾さん(47歳・仮名=以下同)は、「45歳にして、苦しかった人生を抜け出す方法が見つかったのに、今はそれを妻に咎められています」と話す。
亮吾さんは都内の裕福な家庭に育った。父の一族が昔から土地持ちで、父は日々を遊んで暮らしていたという。
「一応、不動産関係の会社を経営していることになっていましたが、父はほとんど何もしていなかった。昼間から酒を飲んで寝ていたり、町をふらふらしていたり。あ、『浮浪雲』という漫画、知ってます? あれに出てくる頭みたいな生活です」
ジョージ秋山氏の『浮浪雲』の主人公・雲は仕事を部下に任せて働かず、飄々としていて無類の女好き。だが実際には居合いの達人で強靱な精神をもつ。だからこそ誰にでも優しくおおらかだ。
「僕の父も適当に生きているように見えたし、実際、働かなくてすむ生活にうんざりしていたんだと思うけど、心の底ではいろいろ考えていたようです。僕は3人兄弟の末っ子でしたが、父にはかわいがられました。めったに説教じみたことは言わなかった。でも1度だけ、『おまえがいちばん素直でいい。勉強なんかできなくてもいいから、まっすぐ生きていけ』と言われたのを覚えています」
2人の兄と比べて…
長兄は12歳上、次兄は10歳上と離れている。亮吾さんは父が42歳、母が44歳のときの子だったので、「自分は両親の本当の子ではないのかもしれない」と思ったこともある。一方で、母は尋常ではないくらい教育熱心だった。
「長兄が有名私立中学に入学し、次兄は小学校から私立へ。ふたりとも優秀だった。でも僕は私立小学校にも中学校にも落ちて、高校まで公立でした。母は『どうしてあんただけ、こんなにできが悪いの!』としょっちゅう泣いていましたが、母が泣くようなことなのかなあとぼんやり思っていた。『あんたがいちばんお父さんに似てる』と母に睨まれたこともあります。好きで結婚したんじゃないのと思わずつぶやいたら、母は『お金がなかったら、おとうさんなんてまったく価値がない』と言い切ったんです。なんだか、母の迫力がすごすぎて言葉が出なかった」
笑いながらそう言う亮吾さんだが、母の過干渉を振り切って中学・高校時代はサッカーに明け暮れた。
自分が合格できる範囲の「たいして有名ではない私立大学」に入学したとき、長兄にも次兄にも「大丈夫か」と笑われた。ふたりは父が名ばかりの会長職になっている会社にすでに入社しており、当時、めきめきと頭角を現していたようだった。
「僕はその会社には入らないと決めていました。もちろん兄たちも入ってくるなという感じだった。自分は自分で生きていくしかない。それはかえって快適でしたけどね」
大学に入るとすぐ、彼は実家を出た。アパート代の初期費用だけは父が出してくれた。生まれて初めて、風呂もない木造のアパートで生活したのは新鮮だった。
「うち、部屋が7個くらいある一軒家だったんです。お手伝いさんもいたし、何も不自由のない生活だった。でも六畳一間、トイレ共用のアパートにいると、周りはいろいろな人がいましたね。隣はたまたま同じ大学の学生だったけど、階下のおっちゃんはいつもひとりで怒鳴っているし、その隣の夫婦はケンカばかり。必死でアルバイトをして、もうちょっとましなワンルームに1年後に越しましたが、あの1年は、生身の人間のさまざまな面を見た気がします」
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