【デビュー55周年】ちあきなおみと運命の人「郷鍈治」はどんな関係だったのか 元マネージャーの証言

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演歌路線を求められて……

 彼はちあきなおみの歌手としての自己への矛盾と、その葛藤を身近で敏感に感じ取り、その後、水先案内人のように進むべき方位を指し示してゆく。

 郷鍈治は、ちあきなおみが主役であるドラマの、きわめつきの男の役に挑むことを選んだのだ。そして、歌謡界という業界からは生まれ得ない発想、その小さな縄張りを突き破る鋭利な感性で俳優をやめ、プロデューサー兼マネージャーという役どころで、ちあきなおみだけを見つめつづけてゆくのである。

「レコード大賞を受賞してから、いつもヒット曲を追っていかなければならないという状態に疲れてしまった。『矢切の渡し』を出した頃に、これからは着物を着て、演歌路線でやってくれ、とレコード会社から言われて。私はもっといろいろなジャンルを歌いたいと思っていたので、そうやって範囲を狭められるのは嫌だな、と」

 ちあきの述懐である。当時の歌謡界は、ちあきなおみを美空ひばりの後継者、第二の美空ひばりというアングルで照射していた。戦後日本における歌謡曲は、やはり美空ひばりとともに、テレビの普及と同じ振幅で昭和時代を歩んだ、と言えるだろう。

 敗戦の深傷を抱える日本人の心に、美空ひばりの歌声は力を与え、劇的に立ち直ってゆく昭和日本の国民の傍らには、常に美空ひばりの歌があった。そして、その幻妙とも言える歌唱、表現の懐の深さと奥行きは、歌謡界における唯一無二の存在となる。

 美空ひばりと双璧をなす歌唱力を持つちあきなおみに、その牙城を崩さんとする勢いで、両者並立時代を目論み、美空ひばり路線をちあきなおみに追随させようと企んだのが当時の歌謡界の趣だったとするのは、それほど的を外した推論ではないだろう。

 だが、ちあきなおみはこの局面でその軍門に下ることなく、ここではっきりと異を唱えたのだ。確実にヒットを狙える安定路線を拒み、一歌手として、ちあきなおみ路線を歩もうとしたのである。その行為は、自己の才能への絶対的自信に基づき、歌への並々ならぬ愛情から発せられていた。その歌手としての矜持が、商業主義という反対方向からの風によって揺らごうとするのならば、向き合ってみせましょう、ということである。

 それは業界への反逆を意味し、両刃の剣となって歌手生命さえ失いかねない、薄氷を踏むような行為であることは自明の理であろう。だが、ちあきなおみは郷鍈治が示した、自分が望み、心から歌いたいと思う歌への方向転換を図り、歌手としての流儀を貫こうとしたのだ。

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