米軍キャンプ、美空ひばりのステージ、父親との確執…ちあきなおみの幼少期を元マネージャーが明かす【デビュー55周年】
「メリー児玉」、「五条ミエ」、「南条美恵子」…そして「ちあきなおみ」へ
十二歳になった三恵子の、その後の人生へと繋がれてゆく漂泊の門出となったのは、やはり歌だった。そこには、両親の離婚という事情もあったであろうが、それは歌うことで人を喜ばせることができるのならという、引っ込み思案で人間嫌いの少女が神様に課せられた、「歌わなければいけない」という使命だったのかもしれない。
中学生になると、プロダクションに所属しながら、ステージ名を「メリー児玉」「五条ミエ」「南条美恵子」と変遷させながら、ジャズ喫茶で歌う三恵子がいる。
家庭の事情と自身の夢が重なり、再びスポットライトの中へ帰ってきた三恵子は、この後もちあきなおみとしてデビューするまでの約八年間、一意専心に歌いつづけるのだ。
前座歌手としてスター歌手の一座に入り、ステージに立ち、旅から旅への生活。衣装や化粧道具を抱え、バスや船で日本各地を巡業するのである。そんな生活の中でも、三恵子は歌に対して勇猛精進の志を崩すことはなかった。やがてキャバレーや余興ショーなどの舞台で、ロック、ジャズ、また着流し姿で演歌などを歌いこなしながら、音楽への造詣を深めてゆく。
三恵子の前には、ただ歌う途しかなかったのだ。そこには尋常な青春の一節からは決して読むことのできない、静かなるもしたたかに燃え上がる、炎のような熱情があった。その劇しさを歌い、その想いを胸に抱きしめ、三恵子はレコードデビューに向け、歩を詰めてゆくのである。
*中編「【デビュー55周年】ちあきなおみと運命の人「郷鍈治」はどんな関係だったのか 元マネージャーの証言」では、ちあきなおみと夫・郷鍈治との秘話を綴る。