米軍キャンプ、美空ひばりのステージ、父親との確執…ちあきなおみの幼少期を元マネージャーが明かす【デビュー55周年】

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美空ひばりとの邂逅

 ちあきなおみ。本名・瀬川三恵子は、1947(昭和22)年9月17日、東京は板橋区に三人姉妹の三女として生を受ける。四歳で横浜、横須賀、立川など米軍キャンプ内のクラブで、花柄のワンピースのドレスを着て、タップダンスを踊り、歌っていた。

「ギブ・アス・ア・ソング!」

 日本に進駐したアメリカ兵が、チューインガムを噛み、コーラやビールを片手に口笛を吹く。唯々諾々と歌う三恵子には、青い目をした毛むくじゃらの大男たちの言葉はわからなかったが、歌い終わると、ポケットから大きな手にいっぱいのチョコレートを 取って差し出し、拍手してくれる姿がなんだか不思議な光景に思えたという。

 彼らは顔を真っ赤にして喜んでくれている。なにかが伝わっている。幼いながらもそう感じる三恵子には、歌は、人と人のあいだに個人的な関係性を築く魔法のようなものだった。三恵子にとって、歌は言葉だったのだ。

 この頃、三恵子はその後の歌手人生に、大きな影響を与えることとなる場面に遭遇して
いる。ちあきなおみを語る上で常に興味深い局面であることは否めない。それは、美空ひばりとの邂逅である。

「私がはじめて美空ひばりさんを見たのは、たしか三~四歳くらいのとき、ひばりさんが舞台の迫り上がりからライトに照らされて、角兵衛獅子の格好をして出てくる。その強烈なイメージというのが未だにある。小さい頃見たひばりさんのステージの記憶が、きっと私を歌手になりたいという気持ちにさせた」

 とは本人が口にするところだ。すでにこのとき、国民的歌姫であった美空ひばりが、舞台上から放つ月光の如く煌々たる輝きは、客席から見上げる三恵子を眩しいほどに照らし、その心に歌への熱情の波を湧き立たせたように感じられる。

 かくしてスター歌手への憧憬が根差しはじめた三恵子は、なんと五歳にして日本劇場(通称・日劇)のステージに立つ。

 だが、この華々しい時間の流れの中で、七歳になった三恵子は、いったんここで歌に別れを告げ、スポットライトの中からその姿をフェイドアウトさせる。

 それには、一身上の理由があった。父親との確執である。

 やがて、ひとりの少女とその人生に横たわっている愛憎は、三恵子を再びスポットライトの中へと駆り立ててゆく。

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