「勝つことと楽しさを追求すること、その狭間で揺れている」 そんな“ジレンマ”を超越するサーファー・石川拳大の「新しい挑戦」とは(小林信也)

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 サーフィンの日本王者・石川拳大(けんた)は神奈川県茅ヶ崎で生まれた。4歳で初めて波に乗り、以後25年間、サーフィンを通して人生の目的を探し続けている。大学卒業後、JOCの就職支援制度アスナビを活用し、日本情報通信株式会社に入社。社員サーファーというユニークな存在でもある。

 昨年10月、宮崎で開催された第57回全日本サーフィン選手権、ショートボードの部門で3連覇を飾った。通算5度目の日本一。パリ五輪に向けても強化選手の一人だったが、パリの切符には届かなかった。簡単に説明すると、石川が優勝したNSA(日本サーフィン連盟)の大会はアマチュアが主体。五輪に出るのは世界のプロツアーを転戦するプロ選手たちが大半だ。今回の日本代表も2人は外国出身の国際人。前回銀メダルの五十嵐カノアはアメリカで生まれ育った。新たに代表入りしたコナー・オレアリーはオーストラリア出身。父がオーストラリア人、母が日本人プロサーファー。昨年から日本に登録変更した。石川が言う。

「日本で生まれ、日本の海で育ったサーファーが五輪で活躍できたら、もっと希望があると思います」

 一方、「五輪や勝ち負けだけがサーフィンの魅力じゃない」という思いもある。

「4歳の時、父親に買ってもらったサーフボードで初めて波に乗りました。波打ち際に近い、ほんの小さな波でしたが、あの時の衝撃をいまも覚えています。25年たっても、あれを超える波に出会っていません」

 石川は夢見るような目で言った。

ただ一枚の板から

「あの感覚を探し求めていたら、ポリネシア人たちが最初に波に乗った時のアライアに出会ったんです」

 アライアとは、現代のボードとはまったく違う素朴な板。平たい板を流線形にしたサーフボードの原型だ。

「自分でアライアを作って、乗ってみたいと思って」

 石川は友人たちの協力を得て、京都・京北地域の山中で切り倒した杉から板を取り、ブラジル出身の木工職人ロドリゴ・マツダに削ってもらった。

 幅約50センチ、長さ170センチほどの平らな板。通常はサーフボードの下についているフィンもない。滑り止めもない、ただ一枚の板。

 これに漆を塗ってくれたのが、京都・間之町通りにある堤淺吉漆店の4代目(現専務)堤卓也(46)だ。明治42年創業、漆の精製・販売を生業とする漆メーカー。漆文化の継承を願う堤は、自転車やカメラカバーに漆を塗るなど、革新的な取り組みを重ねている。自らもスノーボードに魅了され、サーフィンにも造詣が深く、十数年前にはアライアを現代によみがえらせた世界的シェーパー、トム・ウェグナー(豪)の板に漆を塗った。なぜサーフボードに漆だったのか?

「サーファーはみな海を愛し、自然を大切に思っている。ところが、通常のボードや滑り止めのワックスはケミカルなもの。自然に対して負担をかけています……」(堤)

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