杉山清貴、プロデューサーに注意され「カチンときたままレコーディング(笑)」 今では珍しい「オメガトライブ」というバンドの在り方

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『記録と記憶で読み解く 未来へつなぐ平成・昭和ポップス』  杉山清貴&オメガトライブ(2)

 この連載では、昭和から平成初期にかけて、たくさんの名曲を生み出したアーティストにインタビューを敢行。令和の今、Spotifyなどの音楽ストリーミングサービス(サブスク)で注目されている人気曲をランキング化し、各曲にまつわるエピソードを深掘りすることで、より幅広いリスナーにアーティストの魅力を伝えていく。

 今回は、杉山清貴へのインタビュー第2弾。前回は、オメガトライブ時代のヒット曲について考察し、当時も今も最も人気の「ふたりの夏物語」や、アルバム収録ながら“シティポップ・ブーム”で大人気となっている「DEAR BREEZE」などについて語ってもらった。今回は、これらに続くSpotify人気第3位のデビュー曲「SUMMER SUSPICION」から見ていこう。

 1983年4月21日発売ながら、オリコン週間ランキングに入った(最高9位)のは、なんと9月半ばという超ロングヒット作だ。このことからも、彼らが当時のブームに乗って売れたのではなく、むしろムーブメントを切り拓いてきたといえるだろう。実は当初、別の楽曲がデビュー用に作られていたという。

「当時、僕たちバンドのメンバーは『海風通信(UMIKAZE TSUSHIN)』を推していたんですよ。でも、このSpotifyのTOP40に…ない?ない!ワオ!これは意外ですね。(注:実際は45位で約20万枚の再生回数。オメガトライブ全53曲の中では最下位から9番目。) だって、ライブでは今でも一番盛り上がるんですよ。それが一切入らなくて、『DEAR BREEZE』とかAORっぽいというかコード感が洒落た曲が人気とは…これは興味深いデータですね!

『海風通信』は、当時で言えばエイジアとかヴァン・ヘイレンとか洋楽ロック系統なんですよ。林哲司さんも、僕らのアマチュア時代だった“きゅうてぃぱんちょす”の音を聴いた上で、この『海風通信』を書いてくださったんです。僕らも、それに共感していたら、プロデューサーが“もっと歌謡曲寄りのものを作れ”とダメ出しして、林さんにさらに書いてもらったのが『SUMMER SUSPICION』で、これがハマったんですね」

「SUMMER SUSPICION」は、海やリゾートをイメージしたポップスという点でも特徴的だったが、杉山自身のボーカルも深いビブラートが無く終始爽やかで、それまでの歌の上手い歌手とは一線を画していた。どういったルーツがあったのだろうか。

「僕は洋楽も歌謡曲も何でも聴いていましたよ。歌謡曲では、野口五郎さんのマネでよく歌っていました。でも、中学の時にハードロックに目覚めて、高校の時はディープ・パープルなどをコピーしていました。ただ、声質的にそういう太い声が出なかっことで今の歌い方になったんです。楽曲によっては、ビブラートもできるだけ無くすようにと言われましたね」

 ちなみに、オメガトライブの翌年に同じプロデューサーのもとでデビューした菊池桃子は、彼らとレコーディング・スタジオが一緒になることが多かった。杉山の完璧なボーカルを聴いては反省し、近所にあった東京タワーの周りを泣いて歩いたと、以前の取材では語っていた。

「懐かしい!!桃ちゃんが、煮詰まってしまっていて、隣の部屋に励ましに行ったことも何度かありましたね。それだけプロデューサーは厳しい人だったんですよ。僕も声の出し方一つ取っても“声を張るな、抜け!”と何度も直されました。今となっては笑い話なんですが、僕がプロデューサーにいろいろと注意されて、カチンときたままレコーディングしたものは、聴いたら分かるのもありますよ(笑)。 第11位の『RIVERSIDE HOTEL』なんか、特に細く聞こえますが、熱唱せずに繊細に歌えと指示されて歌ったんでしょうね、ライブではノリノリで声を張っていましたけど」

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