「ふたりの夏物語」大ヒット直後に解散… 杉山清貴が語る「オメガトライブ」今も褪せない輝き

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予期せぬヒットが、解散へ…?

 それでは、ここからはオメガトライブとしての現在のSpotifyでの人気曲を見ていこう。“杉山清貴&オメガトライブ”としてのSpotifyの月間リスナーは35~40万人と、80年代の音楽としてはかなり多い。 彼らのサウンドには、現在のシティポップ・ブームの中心人物である作曲家・林哲司の作品が多いことも大いに関係しているだろう。

 第1位は、通算5作目となる1985年のシングル「ふたりの夏物語」となった。当時、JALのCMソングに起用され、オリコンこそ最高5位ながら、各種のランキング番組では軒並み1位となる大ヒットとなった。特にその筆頭格である『ザ・ベストテン』では、粘りに粘って登場9週目に1位となったあと、12週間ベストテンに入り続け、見事その年の年間第2位という大ヒットとなったのだ。

「そうでした、そうでした!じわじわと上がっていたんですよね。そして、やっぱり、この曲が今も1位なんですね。当時は、テレビ番組に出ずっぱりだった記憶しかありませんね。月曜日に『ザ・トップテン』、木曜日に『ザ・ベストテン』と毎週のように出ていて、そこにほぼ月1ペースで『夜のヒットスタジオ』がありました。 その頃になると、レコーディングが忙しかったり、全国ツアーの真っ最中だったりしましたが、ランキング番組では、中継に追いかけられて(笑)、結局休まずに出演していた、という印象が強いですね」

 番組出演時には、楽曲の爽快なイメージに合わせて、ヤシの木のビーチをイメージしたセット、黒いサングラスに白いジャケットという杉山のスタイルが印象的だった。サカナクションが2019年に発表した「忘れられないの」では、テレビ番組やプロモーション・ビデオにてこのパロディーを披露しており、若い世代に、“元ネタ”として浸透したほどだ。

「あの時代は大学生も含めて若者たちがみんなスーツを着ていましたからね。色んなメーカーが乱立するデザイナーズ・ブランドのブームで、若者たちが街や海で着ていたのを、僕らが衣装として取り入れていたので違和感はありませんでしたね。スーツに肩パットまで入ってね(笑)。でも、確かに白の上下ってなかなか選ばないからオシャレでしたよね」

 ちなみに、1985年3月に発売されたこの楽曲は7月ごろまでロングヒットしたが、なんとその年末にオメガトライブは解散している。大ヒットが、解散に繋がったのだろうか。

「実は、『ふたりの夏物語』ってそこまで大ヒットを狙っていなかったんですよ。まあ、売れなきゃ困るんですけれど(笑)、この曲のために、“オメガトライブ=『SUMMER SUSPICION』のバンド”じゃなくなったんです。(作曲をした)林哲司さんもまったく想定外で、当初は軽い存在のつもりだったんですよ。それがあんなに売れちゃったから僕ら自身も方向性を見失っちゃって。このままヒット曲が続けばいいけれど、曲も自分たちで書いていないし、もし売れなくなったら、その後はどうすればいいんだろう、って葛藤もあり、20代半ばのうちに解散して、一人一人がスキルアップして、生きていく道を見つけていこうよ、という結論になったんです」

 それ以前から、自分たちでヒット曲を書いていないので、方向性の迷いというのはメンバー全員がなんとなく持っていたと思うのですが、この大ヒットで、具体的な話が進んだ感じですね。ギターの吉田(健二)が、“俺たちロックバンドなんだから、ディストーション(音を意図的に歪ませた演奏技術の一つ)もやれないなら辞める!”と言って先に抜けちゃって(1985年4月脱退)、なんとなくそんな雰囲気になっていたのですが、事務所に説得されて、年末の解散まで残りのメンバーで続けることになりました」

 かくして、杉山清貴&オメガトライブは、ヒットを継続したまま解散することになったのだが、わずか3年のあいだに発表したシングル7枚とオリジナル・アルバム5枚は、それだけ短期間だったからこそ、圧倒的な輝きを放っているのかもしれない。

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