「AIスピーカーと同居」「ネット上に友達がたくさん」 89歳の世界最高齢プログラマーが伝授するシニア世代の「デジタル生活」 櫻井よしこ×若宮正子

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空腹の時代

櫻井 いくら家族に囲まれていても、本当の意味での会話をする相手がいない方っていらっしゃいますものね。事情はさまざまでしょうけども、倶楽部は高齢の方が多く、互いに分かり合い易い。抱えている悩みにも共通項があるでしょうね。

若宮 ええ、本当に同年代の人と話せるのはうれしいことです。私たちの世代は戦中戦後、ちょっと特殊な時代を過ごしてきたものですから、若い人たちには通じないメンタリティーを持っている部分がありますので。

櫻井 だいたい若宮さんが10歳くらいの頃になりますか。戦時中を振り返って印象的なことはありますか。

若宮 忘れられない思い出は多いですが、終戦の日は母の郷里である兵庫県の山村にいました。最寄りの駅に筆書きで“正午に大事な放送がある。ラジオのある人の家に行って聞きなさい”といったことが掲示されていて、伯父の家に行ったのですが、肝心の放送内容が聞き取れない。周りにいた大人の男たちがだんだん涙を拭き出した。これは戦争に負けたのではないかと思ったんですけど、放送終了後、ウチの伯母が「皆さん、おなか空いているでしょ」と言って、うどんを打ち始めた。男と女って、こうも反応が違うのだと思いましたね。大勢の人が集まったから何か食べさせないといけない。そんな親切心からだったと思いますが、大人も子供も常に空腹の時代でした。

「捕虜さんにピアノを貸すと、チョコレートをくれて…」

櫻井 その後、皆さんはどうなされたんですか。

若宮 私もうどんをいただいたと記憶していますが、駅に行ったら普通に列車が走っていたことにも驚きました。山陰本線の和田山という大きな駅で乗り換えて自宅に帰れたんですがね。父の勤務先は三菱マテリアルで、捕虜収容所があった生野銀山に一家で疎開していました。英米豪の兵隊さんたちが大勢いたんですが、建物の屋根にはPOW(Prisoner of War)と大きな文字で書かれていました。ここに捕虜がいるぞという意味で、空襲でも被害に遭いませんでしたが、終戦の翌日には落下傘につるされた荷物がバカスカと落ちてきました。

櫻井 食糧ですか?

若宮 そうです。チラシもまかれて「日本人は持って行くな」と書いてありました。その日の午後には、ボロ服だった捕虜さんたちが、ビシッとネクタイをしめて、収容所から出てきました。

櫻井 投下された物資の中にはキレイな服もあった。

若宮 ええ、本当に時代が変わったのだなと。捕虜さんたちは第1次大戦の時に流行した行進曲「It's a Long Way to Tipperary」を意気揚々と歌いながら出てきました。彼らは私たちが通う小学校のピアノを使いたいと言うので、大人たちが貸してあげたらお礼にチョコレートを配ってくれた。戦時中、空腹に耐えかねて脂肪分が取りたいという捕虜さんたちに、生野の大人たちはなけなしの物資から栄養が取れるものを苦心して食べさせてあげていた。そうしたことも影響していたかもしれません。

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