「肉体が死ねば魂という存在で生きる」 横尾忠則が信じる“あちらの世界”とは?

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 どうして短命の人と長寿の人がいるのでしょう。僕は子供の頃から、よく病気をしたりケガをしていました。だから、そんなに長く生きるとは思っていなかったのです。以前にも書きましたが3人の占い師が、3人共口を揃えて僕の寿命は50歳で終ると言ったので、僕も半ばその気でいたのですが、気がついた時には、50歳を過ぎて、今、6月27日に88歳になりますが、両親も(実の両親も養父母も)、僕より若い年齢で亡くなっています。

 僕の年齢に近い人は大抵、健康でもっと長生きしたいと思ってか、ジムに通ったり、サプリメントを摂ったり、健康願望が強いように思います。この年になると日替りメニューみたいにあちこちに肉体的ハンディが出てきます。でも、それは老齢の通過地点で誰にでも起こる現象だから、いちいち気にしていては、気疲れで病気になります。病気の大半はストレスと医者もいいます。僕は病気でもないのに、ちょっと不調になるとすぐ病院に行きますが、大抵、過剰な想像力の結果で、先生と話している間に治ります。だから問診だけで薬も出ません。自分の身体の変化を知っておくために病院に行くだけで肉体を哲学化しているのです。

 僕はこれといって特別の健康法らしいことはやっていません。絵を描く時に体を動かす程度で散歩もしないし、自転車移動が中心で歩くこともしません。そのため筋肉も落ちているせいか、少し動くと息切れがしてしまいます。最初はこんなことで病院に行っていましたが、全く病人扱いはされません。だけどこの年齢になると健康でいることが逆に不思議になって、何んとか肉体のハンディ部分を捜して、病院に行くのですが、結局どこも悪くないという診断を下されて自信をつけて帰ってくるのです。

 僕はなぜか、死に関することに興味があって毎朝新聞のお悔やみ欄を見るようにしていて、時には著名な友人、知人の死に触れて、自分がまだ生きていることを実感しながら、周辺から人が消えていくことで妙な空虚感に悩まされています。手元の電話帳を見ると半分以上が物故者です。確かに自分にも死は迫っているのですが、自分に限らず全ての人は死ぬ運命にあります。それが現実です。だから人の死亡記事を見てもそんなに驚ろきません。驚ろいたってしょうがないです。いつかというか、ごく近い内に自分もその死者の仲間入りをしてこの現世から去っていきます。僕に限らず全ての人に平等にやってきます。でも不思議と自分の死を怖いとか恐しいとか思ったことはありません。

 というのは、人間の本体の魂は死ぬことがないので、肉体の死の後にやってくる生は肉体はなくとも魂という存在になって、あちらの世界で生きて行けることを信じているのです。絵ばかり描いているのが面倒臭く、早く向こうへ行って絵を描かない存在になりたいとさえ思います。このことは、ある意味で僕の希望でもあるのです。向こうへ行けば、こちらの世界のような物質としての肉体はないけれど霊体というニクタイに変ります。この霊体というのは四次元的なものですが、こちらでの肉体感覚と同じような感覚を味わうことはできます。つまりこちらでの肉体よりもっと精妙な波動の高いニクタイになりますから、病気というものとは全く縁がない存在になります。

 そもそも早く死ぬ人が不幸とは必ずしもいえません。むしろこの重たい肉体から解放され、こちらの世界の複雑な人間社会から脱出するのですから、ある意味では自由な存在になるのです。輪廻転生という長いトータルの時間で考えると、短命も長寿も関係ないということになります。そこのところが解決していないから、短命の人を不幸だと思ってしまうのです。逆に向こうから見ると短命だったことを喜ぶ霊もいるかも知れません。なぜかというと、こちらの現世は魂にとっては修行の場所みたいなものですから、そう考えるとあちらの世界、つまり死の世界が実相でこちらの物質世界の方が虚構なんです。この世界をわれわれは現実と呼んでいますが、向こうからすれば真の現実は向こうで、こちらの物質世界が虚の世界なんです。そう思わない人は肉体こそが人間の本体だと思っているのでしょう。人間の本体は肉体ではなく、むしろ霊体、つまり魂なのです。

 見て来たようなことを言うな、と言われそうですが、ハイ、見て来たのです。この世に誕生する前は、死の世界、つまり霊体でいた世界にいて、その賞味期間が切れたので、輪廻転生という法則に従がって僕はこちらの世界に誕生してきたのです。現在、生きている全ての人は、向こうの世界から必要に迫られてこちらの世界にやってきて、再び輪廻の法則に従がって死ぬのです。その繰り返しを人間は何百年、何千年体験しながら、最終的には不退転者になって、もう二度とこの地上には生まれないで、向こうの涅槃の世界で永遠の生を全うすることになるのです。ここまで書いて、フト以前にも同じことを書いたような気がしてきました。老齢になると同じことをくり返して言うらしいのです。まあ信じるか信じないかはあなた次第ですが。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2024年6月6日号掲載

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