「チャイドル」と言われることに「重荷を感じたこともあった」 2児のママ、野村佑香が明かす葛藤
「アニー」に自分も「出たい」
――芸能活動をどのような形で進めていたのでしょうか。
小学校4、5年生の時に友達がミュージカル「アニー」に出ているのを見て、自分も「出たい」と思い、芸能活動ができる事務所に移りました。事務所からもらったオーディション情報をもとに、たくさんのオーディションを受けました。ほとんどは落ちましたが、受かった時はとても嬉しかったです。
――当時、芸能活動と学校生活の割合はどのくらいでしたか。
比率は正確には覚えていませんが、体感では芸能の仕事が8割、学校が2割くらいでした。ただ、学校の行事には出て、出席日数もしっかり守っていました。文化祭や体育祭などのイベントにも参加して、学校生活も楽しんでいました。
――どのような学校生活だったのでしょうか。
地元の公立小中学校に通っていたので、周りの人は私が芸能活動をしていることを知っていました。普通の小学生、中学生として過ごしていましたね。周りの友達も普通に接してくれました。
――芸能人ということで、騒がれることはあったのでしょうか。
他校の生徒と接する時は、他校の生徒から少し言われることがありました。中学3年生の修学旅行で京都に行った時、他の人から囲まれたことがありましたが、友達がSPのように守ってくれました。友達には感謝の気持ちでいっぱいです。
――部活は何かやっていたのでしょうか。
中学校では部活ができませんでしたが、高校では茶道部に幽霊部員として所属していました。文化祭の時に浴衣の着付けを手伝ったりしていました。本当はダンスが好きだったんですが、お仕事の関係もあり部活には入れませんでした。ただ、うちの高校のチアリーダーが全国大会に行くくらいすごく強かったんです。友達がそのチアリーダー部に入っていたので、その子を応援することで(部活をやりたいという)気持ちを昇華していました。
[2/3ページ]