【ススキノ首切断】「私は娘の奴隷」異様過ぎる親子関係が構築された背景を専門家が分析 母親・浩子被告の偽らざる今の心境は
相談できない「地元の名士」
扱いにくい子供だと思っていても、もちろん親としては愛情を注ぎたい。試行錯誤を重ねるが上手くいかず、次第に腫れ物に触るような子育てになってしまう。さらに子供が大きくなると、気がつけば子供の言うことに何でも従っている──。
時計の針は元に戻せないとはいえ、修被告と浩子被告に解決策はなかったのだろうか。瑠奈被告の理不尽な要求に従うより他に方法はなかったのだろうか。
「唯一の解決策は少しでも早く、第三者に相談することでした。同じ家族で顔を突き合わせても問題が解決できるはずがありません。警察、児童相談所、専門のカウンセラー、どんな人でもいいので、とにかく外部の人を呼ぶのが大原則です。そして私が過去に対応してきたケースを振り返ると、地元の病院で精神科医長を務めていたという修被告のような“地元社会の名士”は、外部の人間にSOSを出さないという傾向が認められます」
医師、市議、県議、弁護士──こうした人々は地域社会のエリートとして、地域の中で暮らす必要がある。その結果、自分たち家族のプライバシーを必要以上に重視してしまうのだ。
同じエリート層でも、転勤の多い大企業の会社員だと話は違う。家族で転勤し、縁もゆかりもない街で子供が問題行動を起こしたのなら、何の迷いもなく地元の専門家に相談できる。
浩子被告の無罪主張
「転勤先の場合、学校の先生も子供の問題行動にフラットな視線で対処してくれるでしょう。私が気にしているのは、瑠璃被告の通学した小学校や中学校の先生が、『あの生徒は有名なお医者さんの娘さんだ』などと必要以上に忖度しなかったかという点です。もはや地域社会で濃密な人間関係は失われているにもかかわらず、地元で生きるエリートは他人の目を気にし、周囲の人間は必要以上にエリートに忖度するという状況は日本各地で認められます。皮肉なものだと言わざるを得ません」(同・池内さん)
母親の浩子被告は「犯罪を手助けするつもりはありませんでした」と起訴内容を否認し、無罪を訴えた。
「浩子被告は今、深い安堵を得ているのではないでしょうか。娘が逮捕され、娘の支配からようやく解放されました。さらに逮捕前の日常生活では『家族はこのままでいいのだろうか』という罪悪感も常に持っていたはずです。瑠奈被告が逮捕されたことで、浩子被告は罪悪感からも解放されたと思います。久しぶりに精神の安定を得た浩子被告が無罪を主張したということは、非常に興味深く受けとめました」(同・池内さん)