もともとは引っ込み思案で人見知りだった…名優・八千草薫さんはなぜ宝塚を受験したのか

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 朝日新聞の編集委員・小泉信一さんが様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。今週は俳優の八千草薫さん(1931~2019)です。宝塚歌劇団を皮切りに数々の映画やドラマで活躍した八千草さん。もともと引っ込み思案だった彼女が俳優を目指した理由とは何だったのか。名優の知られざる人生に迫ります。

「やはり喜劇は難しい…」

 男と女の仲は、方程式を解くようなわけにはいかない。映画「男はつらいよ」シリーズの主人公・車寅次郎(寅さん)もそうだった。

 あと一歩、もう一歩という時もあったが、「ジョ、冗談じゃないよ」、そう言って美しいマドンナから逃げてしまった。1972年12月公開のシリーズ第10作「寅次郎夢枕」のクライマックスシーンである。

 マドンナを演じたのは八千草薫さん(本名・谷口瞳)。役柄は寅さんの幼なじみ・志村千代。大きな呉服店の娘だったが、結婚後、実家は倒産。父親は病死し、夫とは2年前に離婚。柴又で1カ月前から美容院を開いていた。子どもと離れての独り身の千代。寅さんの心の底からの優しさに触れ、「寅さんとなら結婚してもいい」と思うようになった。

 シリーズ50作の中でもファンの胸に熱く残るマドンナを演じた八千草さん。私が単独インタビューしたのは12年前だった。東京・築地にある朝日新聞東京本社のレストランまで来ていただいたが、清らかで優しくて愛らしいイメージ通りの方だった。おっとりとして、かわいいお母さんという雰囲気もまとっていた。

 松竹大船撮影所(神奈川県鎌倉市)での撮影。おいちゃんやおばちゃんなど、おなじみの寅さんファミリーが勢揃いしていたことを思い出しながらこう語った。

「何本もやっていてリラックスされ、にぎやかなのかと思いましたが、ピリッとした空気なのです。びっくりしました」

「やはり喜劇は難しい。少しのタイミングのずれで、笑えなくなってしまう。山田洋次監督(92)は何度も何度もテストを繰り返しました」

 2019年10月24日、膵臓がんのため88歳で旅立った八千草さん。まずはその華麗な経歴を振り返ってみよう。

 1931(昭和6)年、大阪府出身。1947年に宝塚歌劇団に入り、娘役として「源氏物語」の若紫(紫の上の少女時代)役などを演じて人気を博す。

 1951年、映画デビュー。54~56年公開「宮本武蔵」3部作(稲垣浩監督=1905~1980)で三船敏郎(1920~1997)演じる武蔵をひたむきに愛するお通に扮して注目され、55年公開の日伊合作映画「蝶々夫人」(カルミネ・ガローネ監督=1886~1973)ではヒロインのマダム・バタフライを演じて清らかで愛らしいイメージが定着した。

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