「ブサイクだから歌手は厳しいんじゃない?」と言われたことも…“浜ちゃん”ものまね芸人が、悲願のデビュー曲で歌った「フィリピン人母」への思い

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人生を変えた“B'zのものまね”

「『天才てれびくん』が好きで、自分も芸能活動をしてみたいなって思っていました。でも、小学生時代の私は、フィリピンとのハーフということで、からかわれたりしました。授業参観に母が来ると、みんながざわついたりするので、母と一緒にいるところを見られたくない気持ちが強かったです。自分にぜんぜん自信が持てなかったので、友だちもできなくて」

 この時代、ヴィルマさんも「精神的にも不安定だった」とハリウさんは振り返る。

「仕事を転々としていて、近寄りがたい雰囲気がありました。家に帰ると、お皿がたくさん割れていることもありました(苦笑)。あまり近づかないようにしていたので、父と接していた記憶しかないんです」

 自信も友だちも乏しかった。だが、「このままではダメだと思って、どうしたら自分を変えれるんだろう」と、悩み続けたという。そんな中、ひらめいたのが、地道に練習していた好きだったものまねを披露することだった。

「中学校に上がって、最初に行われる自己紹介で勇気を振り絞って歌まねをしたんです。B'zさんが大好きだったので、当時の人気ドラマ『海猿』の主題歌だった『OCEAN』を歌ったら、みんなが話しかけてくれて。あのときB'zさんのものまねをしていなかったら、また違った人生になっていたと思います。私は、勝手にB'zさんを恩人だと思っています(笑)」

 友だちから「歌がうまい」「ものまねが似てる」と言われるようになったことで、「歌手になりたいと思うようになりました。勘違いしちゃったんでしょうね」。そう自嘲するが、もともと歌が好きだった背景を考えれば、ハリウさんが歌手を目指したのは必然だったのかもしれない。

「歌うことは好きだったからやめたくなかった」

 高校に進学すると、回転寿司店でアルバイトを始め、ボイストレーニングに通うための月謝代を自らねん出した。だが――。

「ボイトレの先生から、“君は顔がブサイクだから厳しいんじゃない”って言われて。当時は、西野カナさんやYUI(現在はyui)さんが流行っていたので、そう言われたときに言い返せないというか、腑に落ちちゃって。ものすごく傷ついて、そのボイトレに通うのは止めました。でも、歌うことは好きだったからやめたくなかった。ものまねだったら……。そう思って、ものまね芸人を目指そうと思ったんです」

高校を卒業する頃、地道にアルバイトで稼いだお金は100万円を超えていた。調べると、原口あきまさ、はなわといったものまねを得意とするタレントが専門学校・東京アナウンス学院を卒業していることが分かった。

「ものまねを教えてくれる学校だと思って入学したら、そうじゃなかった」と頭をかくが、何はともあれ芸能バラエティ科に入学。発声や呼吸法など基礎を学んだという。

「東京アナウンス学院では、卒業時に各事務所の方を招いて、ネタや技術を発表するオーディションがあるんです。私は、篠原涼子さんやホイットニー・ヒューストンさんなどの歌まねを披露し、何社からオファーをいただきました。その中にホリプロコムさんがいて、お世話になることを決めたんです」

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