【虎に翼・第50回】花岡悟が衝撃の餓死…モデルとなった山口良忠判事はどんな人だったのか

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花岡の死が用意された理由

 この物語があえて花岡に死の道を用意した理由は、高橋氏の評と木谷氏の言葉に近いのではないか。この作品は法律や判事を「水源」と捉え、寅子はその水源を汚したり、濁したりしてはならないと考えている(第25回)。この物語からのメッセージでもある。山口判事をモデルとする花岡も同じ考えで、自らが水源を汚してはならぬと思ったのだ。体を張って水源を守ろうとした。

 では、どうして桂場は花岡に判事の適正がないと思ったのか。1938年だった第27回、裁判官になるための実務修習中だった花岡は、高等試験浪人中の寅子に対し、こう嘆いた。

「桂場さんに『君は裁判官向きじゃない』って言われたよ」(花岡)

 公正・中立の意識が薄かったり、不真面目だったりしたわけではないはず。桂場は花岡の線が細く、シャイな性格に危うさを感じたのではないか。

 花岡は寅子や桂場、司法省(現・法務省)民事局の久藤頼安(沢村一樹)より線が細く、シャイ。だから桂場は花岡が判事になると、法律や裁判に押し潰されてしまう恐れがあると感じたのだろう。

 実際、花岡には以前から線の細い部分があった。第1志望の東京帝大に落ちると、明律大に入った当初は自暴自棄になっていた。シャイなので第17回で寅子に早々と好意をほのめかしながら、愛の告白は最後まで出来なかった。

 1939年だった第32回、花岡は佐賀地裁に赴任することになる。寅子と一緒に行きたい意思を言外に示したが、口には出来なかった。

 寅子が高等試験(現・司法試験)に受かったばかりで、彼女から弁護士になる夢を奪うことになるからだ。その胸の内すら明かせず、黙って同郷の小高奈津子(古畑奈和)と婚約する(第33回)。

 シャイで生真面目だから、ヤミの食糧を口にしないと一旦決めると、窮状や辛苦を誰にも口にせず、突き進んでしまったのだろう。

 1947年春だった第48回と49回、司法省に勤務していた寅子と勤め先が東京地裁だった花岡は、どちらの職場にも近い日比谷公園(東京都千代田区)で再会する。久しぶりだったが、花岡の言葉には力がなく、衰えを感じさせた。

 寅子は、生活を考えると、司法省内で言いたいことが口にしづらく、周囲から以前と変わったと評されていると話す。これに対し、花岡はこう助言した。第49回だった。

「自分でどうなりたいか選ぶしかない。本当の自分を忘れないうちに」(花岡)

 1935年だった第19回の明律大時代、同級生の大庭梅子(平岩紙)から贈られた言葉である。むごい結末となってしまったが、花岡にとっては本当の自分はあくまで法に従うことだった。

 その死は寅子との再会から僅か約半年後である。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社し、放送担当記者、専門委員。2015年に毎日新聞出版社に入社し、サンデー毎日編集次長。2019年に独立。前放送批評懇談会出版編集委員。

デイリー新潮編集部

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