ゴルフ全米女子オープンで広がった「日本の波」 笹生、渋野の活躍に繋がる強さの源流とは

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「朴セリ旋風」で韓国選手急増

 朴は弱冠20歳だった1998年のルーキーイヤーに全米女子プロと全米女子オープンを続けざまに制し、いきなりメジャー2勝を挙げて「朴セリ旋風」を巻き起こした。

 当時、韓国の女子ジュニアたちは「私もセリのような選手になりたい」「私もメジャーで勝ちたい」と願い、次々に一家揃って米国へ移り住み、ゴルフの腕を磨くようになった。

 米国のゴルフスクールや練習場は、韓国からやってきた女子ゴルファーで溢れ返った。米LPGAの試合会場に足を踏み入れると、まるで韓国の女子ジュニアツアーに来たのかと錯覚を覚えるほど、韓国人選手とその家族でいっぱいだった。

 夢を抱いてクラブを振り始めた韓国の女子選手にとって、メジャー5勝を含む通算25勝を挙げた朴は神様のような存在だ。朴が広げた「韓国の波」は、彼女が引退した2016年以降も米ゴルフ界に広がり続け、それは日本や他国にも広がっていった。

 逆に米LPGAの試合会場で我がもの顔だった米国勢は、韓国勢のパワーに押し出されてフェードアウトしていった。すると、米国の企業も次々にスポンサードを取りやめ、華やかだった米女子ゴルフ界には徐々に陰りが見え始めた。

宮里藍の大きな影響

 だが、近年はモーガン・プレッセルやステーシー・ルイス、トンプソン、ジェシカとネリーのコルダ姉妹といった米国出身のスター選手が活躍し、スポンサー企業も再び増えて米LPGAは持ち直しつつある。米LPGAが選手たちにファンやスポンサーへのサービスを心掛けるなど自助努力を徹底して求めたことも、米女子ゴルフ界の復活につながった。

 そんな中、なぜ今そこに「日本の波」が広がり始めたのだろうかと考えたとき、まず想起されるのは宮里藍の存在と彼女がもたらした影響である。

 かつて朴が韓国の女子ジュニアたちに希望や野望を抱かせたように、宮里は日本の女子ジュニアたちに「私も藍ちゃんみたいになりたい」「アメリカで勝ちたい」と願わせた。

 2006年から米LPGAに挑み始めた宮里は、現地で大スランプに陥り涙に暮れたこともあった。そんな苦境を乗り越え通算9勝を挙げた「藍ちゃんの挑戦」が、日本の女子ジュニアにもたらした影響は果てしない。

 渋野が2019年の全英女子オープンを制してメジャー・チャンピオンに輝いたことも、日本の女子選手たちに自信や確信を抱かせ奮起させたに違いない。

 しかし、それはあくまでも「近年」のことであり、今、広がりつつある「日本の波」の根源はもっと時を遡ったところにあるはずである。

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