ゴルフ全米女子オープンで広がった「日本の波」 笹生、渋野の活躍に繋がる強さの源流とは

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 女子ゴルフの海外メジャー、全米女子オープンがペンシルベニア州のランカスターCCで行われ、6月2日の最終ラウンドでは日本勢が大いに活躍した。日本の女子選手はいかにして強くなったのか。その道のりを振り返る。【舩越園子/ゴルフジャーナリスト】

米国勢は波乱の展開

 今年の全米女子オープンは、笹生優花が2021年に続く大会2勝目を挙げるとともに、不調が続いていた渋野日向子が単独2位となり、日本人選手がワンツー・フィニッシュを果たしたことが大きな話題となった。

 さらに、笹生と渋野を含む日本人選手5名がトップ10に食い込み、7名がトップ20入りを果たすなど、日本勢の活躍と奮闘ぶりは本当に目覚ましかった。

 日本のゴルフ界はまさにお祭りムードで盛り上がっているが、米国のゴルフ界は意気消沈どころか、驚きの出来事が次々に起こったため呆気に取られている様子である。

 まず開幕前には、米国のスター選手である29歳のレキシー・トンプソンが今年限りでの引退を発表し、ファンや関係者を驚かせた。

 いざ試合が始まると、世界ランキング1位で優勝候補の筆頭でもあったネリー・コルダが、自身の3ホール目となった12番(パー3)で10を叩く大波乱に見舞われた。初日は80を喫し、必死の巻き返しを狙った2日目は70に留まり、カットラインに2打及ばず予選落ちとなったことは大番狂わせだった。

 また、米国出身の注目ルーキー、ローズ・チャンも予選通過はならず。米LPGA(全米女子プロゴルフ協会)の盛り上げ役であるカナダ出身のブルック・ヘンダーソンやニュージーランド出身のリディア・コーも予選落ちとなった。

 ところが、日本勢は出場した21名の3分の2に当たる14名が決勝に進出。そこには明らかに「日本の波」が広がっていた。

スウェーデン出身のソレンスタムがもたらしたもの

 1970年代から80年代の終わりごろ、米女子ゴルフ界で光り輝いていたスター選手の大半は米国勢だった。ナンシー・ロペス、ベッツィ・キング、ジュリ・インクスター、パティ・シーハン、メグ・マローンといった米国人選手たちが、毎週のようにリーダーボードの上段を占めていた。当時の米女子ツアーは、米国人選手のための戦いの場だったと言っても過言ではなかった。

 そんな「アメリカの波」を掻き分けるように登場し、その流れを変えたのはスウェーデン出身のアニカ・ソレンスタムだった。

 米アリゾナ大学を経て1992年にプロに転向したソレンスタムは、欧州女子ツアーでプロデビュー後、94年から米LPGAに参戦。そして95年の全米女子オープンを皮切りに、メジャー10勝、通算72勝を挙げ、押しも押されもせぬ不動の女王となった。

 しかし、ソレンスタムがそれほど活躍したというのに、米ゴルフ界に「スウェーデンの波」は起こらなかった。その代わり、国籍を超えた世界各国の子供たちが「アニカのようなプロゴルファーになりたい」と憧れを抱き、クラブを振り始めた。その意味では、ソレンスタムが「ボーダーレスの波」を広げたと言えるのかもしれない。

 一方、ソレンスタムから4年ほど遅れて米ゴルフ界に登場した朴セリは、圧倒的な「韓国の波」を広げていった。

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