「日本で一番すごい人だった」 盟友・岸博幸が明かす、中尾彬さんの知的で豪快な素顔

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“三悪人の一人”

 そして、三つ目のすごさは優しさだったという。

「特に若い人たちに対する温かな気配りが印象に残っています。プロデューサーのような偉い人にかぎらず、スタッフ皆にあいさつをしてくださるんです」

 中尾さんは毎週火曜日の放送後、出演者やアナウンサーを集めて“反省会”を開いていたそうだが、

「決して説教を垂れるわけではありませんでした。中尾さんが若手たちに“最近の流行は何だい”と聞いたり、逆に質問されて答えたりして、交流を深める場だったのです。そうやって中尾さんが皆をまとめてくれたので、スタッフの方からよく“火曜日のメンバーは盛り上がっているね”と言われたものです」

 よって、CM中の雑談が絶えなかったそうで、

「中尾さんはカメラが回っていない時、僕らに対していっつもくだらない話をしてくださった。エロ話とか若い頃の武勇伝とか。中尾さんは昔、出身地の千葉で“三悪人の一人”だったんですって。残りの二人は故・ハマコーさんと“芸能界の首領”として知られるあのお方だとか」

「日本にとって大きな損失」

 岸氏は、中尾さんこそ高齢者が目指すロールモデルだった、と言う。

「年に1、2回、中尾さんは出演者やアナウンサーを10人ほど引き連れ、浅草や上野の行きつけの店で、自腹を切って宴会を開いてくださいました。知性があり、カッコよくて、優しい……。そんな方が偉ぶらずに若手たちに飲み食いさせてあげる。中尾さんの死は、有名な俳優が亡くなったというだけの問題じゃない。日本にとって大きな損失だった、といえると思います」

 逝去後、ここまで惜しまれる人物も、そうはいないだろう。多芸多才は紛うかたなき本物だったのだ。

週刊新潮 2024年6月6日号掲載

ワイド特集「のるかそるか」より

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