蓮舫氏 二重国籍問題の「第一発見者」が指摘する、まだ残る“疑惑” 「積極的に情報公開を」
台湾に残っていた国籍
この段階では、「日本国籍の選択」はして、日本の戸籍法上の手続きは完了し、台湾の国籍を離脱するべきなのをサボっていただけだと、私も含めて思った。離脱手続きを絶対的な義務にしていないのは、国によっては国籍離脱を許さなかったり、多大な時間や費用が生じたりするケースがあるからだ。しかし、台湾では国籍離脱は簡単なのですぐするべきなのである。
ところが、台湾籍を離脱したら台湾の官報に記載されるはずだが、「謝蓮舫」さんの国籍離脱の公示はされていないことをその夜のうちにネット民が突き止めた。
そこで、蓮舫氏は「台湾籍を抜いたかどうかは確認中だが抜いてない可能性があるのであらためて離脱申請をした」と言った(9月6日)。
結論を引き延ばしていたのは、民進党党首選の党員・サポーター投票が続いていたからなのだが、締め切りになった翌日になって、台湾当局から国籍が残っているという連絡を受けたので離脱手続きを進めたいと公表した(9月13日)。
こうなると、誰も蓮舫氏の説明を信用しなくなって、そもそも蓮舫氏が国籍選択手続きをしてなかったのでないかという疑問もでてきたので、アゴラ編集部から国籍選択をしたことを証明する書類、台湾旅券、台湾からの国籍離脱証明書を公開するようにという公開質問状を出した(9月29日)。
22歳以降は「法的義務に反した」二重国籍者
そして事態は意外な解決を迎えた。10月15日になって、蓮舫氏は9月23日に台湾の国籍離脱証明書を目黒区役所にもって行って戸籍法に定める国籍選択としようとしたが、台湾と国交がないことを理由に「国籍選択宣言」の方法を選ぶように求められ手続きをしたと言ったのである(のちに10月7日だと判明)。
ここに至って、17歳から22歳までは合法的な二重国籍者だった蓮舫氏は、その後は法に定められた「日本国籍の選択」と「台湾籍からの離脱」のどちらもしていない「法的義務に反した」二重国籍者だったことが判明したのである。言い方を変えれば、10月7日までは、台湾人が日本国籍もあわせ取っただけだったのである。
ここまで嘘が連鎖して、ばれる度に違う説明をしたとなると、上記の説明すら信じてもらえない。そこで、追い詰められた蓮舫氏は、翌年の7月18日、日本国籍選択宣言日を「平成28年10月7日」と明記された戸籍謄本の複写の一部、2016年9月13日付発行の台湾籍の「国籍喪失許可証書」、離脱手続きのために提出した台湾の旅券などを公開した。
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