今いくよ・くるよさんの「所得隠し」をスクープした記者 訃報に際し思い出す吉本興業への“気が進まない取材”

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 取材記者も人間である以上、現場ではさまざまな感情が生まれる。しかしそれを記事に反映させないように心がけるのは当然だろう。先日訃報が伝えられた人気芸人、今くるよさんについて、元産経新聞記者の三枝玄太郎氏は、今思い出しても複雑な気持ちになってしまう「スクープ」があるのだという。以下、三枝氏の特別寄稿。

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国税からの情報

 今くるよさんが5月27日に亡くなった。膵(すい)がんのため、大阪市の病院で息を引き取ったと発表されている。76歳だった。少し早すぎる気がする。コンビを組んでいた今いくよさんが亡くなってから、みるみる元気を失くしていったと聞いている。苦楽をともにして、成功したコンビだけに、相方とは一心同体だったのだろうと思う。

 新聞記者というのはつくづく因果な商売で、警察回りや国税担当が長かった僕は、刑事さんやマルサ、料調 といった国税職員を除けば、今でも付き合いがある友人、知人は事件や事故で知り合った被害者、いじめられて自死した子の親御さんなどが多い。その方にとって災厄がなければ、知り合うこともなかった間柄だ。「今いくよ・くるよ」さんはその後、お付き合いがあったわけではないが、接点を持つきっかけとなった出来事はお二人 にとって災難極まりないものだったと思う。

 2004年、東京の社会部から大阪社会部への異動を言い渡された。大阪と聞いた僕は、読売新聞社会部で大阪府警を長く担当し、エースとして活躍した大谷昭宏氏原作の漫画「こちら大阪社会部」の世界を堪能してみたい、と警察回りを社会部長に希望していたが、会社側の諸般の事情から国税局担当となった。

 ある日、大物芸人の暴力団との交際が人の口の端にのぼるようになった。彼を調査しているらしい、と国税記者クラブの記者たちは緊張した。この芸人は司会者としても成功を収めていた。

 しかし、取材の過程でまったく別の所得隠しの情報を得る。聞いた名前は意外な人だった。今いくよ・くるよ師匠だったのだ。

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