「恭サマに嫉妬していた」「次があるかは舘さん次第」 舘ひろし×柴田恭兵 「帰ってきた あぶない刑事」を語りつくす

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「『家から通学する不良』になった」

柴田 役者もスタッフも皆で作品を創り上げようとする空気が満ちていました。ドラマってなかなかそういう現場はない。役者同士で考えて工夫を凝らすことはあまりないんです。でも、「あぶない刑事」は、面白いことを役者が考えつくと、そこに衣装さんや音声さん、照明さんが乗ってくれて、そうこうするうちに、じゃあ効果音を入れてみようなど、どんどん広がっていった。

 監督もハードボイルドが好きな人もいれば、笑わせるのが好きな監督もいる。もちろん、お笑い番組じゃないからハードボイルドのシーンは台本通りにビシッと締める。バランスがあって面白いものができたのは、そうした現場だったからだと思います。

――映画では相変わらずの全力疾走や激しいアクションもありました。体力づくりや健康管理はどうしているのでしょうか。

柴田 僕は野球ですね。野球少年でしたから、子供の頃からずっと野球漬け。高校も入学すると野球部にまっすぐ行ったほど。でも、部員はみんな体が大きくて、しかも寮に入らなきゃいけない。親からは「寮なんかに入ったら絶対不良になる」と大反対されて、諦めた。でも「家から通学する不良」になったんですけどね(笑)。結局、そのまま卒業して野球好きのサラリーマンになった。それでも、会社に入るとすぐに野球チームを作ったりしていました。

月10試合以上

柴田 役者になっても野球好きは相変わらずで、テレビに出始めた頃、日本テレビのマドワーズというチームに入ったんです。そこには、俳優では僕や美木良介くん。あと、粟津號さん(故人)がキャッチャーでした。他には日テレのディレクターや監督さんなどがいる混合チームです。

 最初はピッチャーもやっていたんです。でも、舞台の立ち回りで脱臼してしまって、強い球が投げられなくなった。その後、セカンドに回ったのですが、ダブルプレーの時に投げたら激痛が走った。体にブレーキかかったようで、投げさせてもらえず、それが、20年ぐらい続いています。

 それでも、現在三つのチームに入っていて、全部合わせると月10試合以上ある。もちろん全部は出られないし、仕事が入ってる時は、けがが怖いので、なるべく控えています。でも試合では、盗塁のサインでちゃんと走らないと怒られるんですよ。

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