仏サッカー代表監督、ティエリ・アンリの「指導者」としての素質は? 読み解くカギは名将ベンゲルとの関係と“養成所”時代(小林信也)

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変幻自在のストライカー

 そんなアンリに手を差し伸べたのがベンゲルだった。

 Jリーグの名古屋グランパスで指揮を執った後、アーセナルの監督になったベンゲルはアンリを獲得し、センターフォワードで起用した。直線的なスピードとテクニックを、人とボールが激しく動くアーセナルのサッカーに組み込み、ゴールに近いエリアをアンリに与えたのだ。当初は戸惑いもあったが、チャンスメイク力と決定力を兼ね備えたデニス・ベルカンプという絶好のパートナーを得て、大成功した。2001―02年リーグ得点王、02―03年歴代1位の20アシスト、得点24。アーセナルが無敗優勝を果たした伝説の03―04年には30得点で再び得点王。アーセナルの黄金期を築いた。

 サッカーに詳しいスポーツライター大塚一樹が言う。

「クレールフォンテーヌでは、個人スキルを高めるだけでなく思考力を鍛える、そのために地元の学校と提携し教育面もおろそかにしない、役割やポジションを固定せずサッカーというゲームを理解して動ける選手にする、といった方針が重視されています。それが、サイドのドリブラーから、変幻自在にゴールを決めるストライカーに変貌する土台だったのかもしれません」

 クレールフォンテーヌがただ強化目的の施設だったら、アンリは誕生していなかった……。育成の申し子、そして名将ベンゲルの薫陶を受けたアンリが指導者として五輪代表をどう触発するか。オーバーエイジ枠で、やはりクレールフォンテーヌ出身のキリアン・エムバペも出場を望んでいると報じられている。

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2024年5月30日号掲載

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