殿と相棒と別れ、母親は施設に。妻は愛想を尽かして…玉袋筋太郎が明かす「50代を迎えて、激変した人生」

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妻がいなくなって…

 今、一番つらいのは、自宅へ帰っても誰もいないこと。やはり、5年前に妻に出て行かれたショックは癒えないという。

「侘しいよ。マンションに帰っても、灯はついてないし、風呂は沸いてないし。帰りにスーパーに寄って、食料を買ってね。ポイントカードを作ってエコバッグまで買っちゃった。なんだかオレらしくないなぁと思いながら。でも、原因はオレにあるから仕方ないけれど、でも、やっぱりカミさんに出て行かれたのはショックだったな」

 それでも当初は、急に妻がいなくなったら「何か事件に巻き込まれたのではないか」、あるいは「床下に埋めているのではないか」などと近所で詮索されることをおそれて、帰宅した際には周りに聞こえるように大きな声で、

「いやー! 疲れちゃったよ。今日のメシ、なーに?」

 などと、必死にカムフラージュしていたという。

「家族の変化でいうと、お袋が施設に入ったこともこたえたね。でも、この年になったら、介護や老親の世話は誰にでも起こりうること。やっぱり、家族は大事だよ。だから大切にして欲しい。ま、オレが言えた立場ではないんだけどね。いや、だからみんな、オレみたいになっちゃダメだぞって。この本を読んで思って欲しいな」

(文中敬称略)

後編では、自身の芸名への誇り、浅草での貧乏修業時代、師匠・たけしへの思いなどを語る。

玉袋筋太郎
1967年、東京都新宿区生まれ。高校卒業後、ビートたけしに弟子入り。1987年、水道橋博士と「浅草キッド」を結成。2020年、独立してフリーに。著書に『粋な男たち』(角川新書)、『スナックの歩き方』(イースト新書Q)など。「町中華で飲ろうぜ」(BS―TBS)、「金曜ワイド ラジオTOKYO えんがわ」(TBSラジオ)などのレギュラーの傍ら、スナック好きが高じて赤坂に「スナック玉ちゃん」を開業。一般社団法人全日本スナック連盟会長。

デイリー新潮編集部

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