殿と相棒と別れ、母親は施設に。妻は愛想を尽かして…玉袋筋太郎が明かす「50代を迎えて、激変した人生」

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どこかで誰かが見ていてくれる

 50代になってからの激動。玉袋にとってそれは、やはり師匠であるビートたけし(77)、そして長くコンビを組んだ水道橋博士との距離感ではなかっただろうか。

「いや、来るべき時が来たか。そんな感じですよ。確かに、博士とコンビを組んで漫才をやっていきたいと思っていたし。殿のそばにずーっといたいという思いがありました。でも、どの社会でもそうだと思うんだけど、いい状況が永遠に続くことはない。“ずっとこのままでいたい”“この状態でいい”とはならないんだ。もし、自分はそうだ、という人がいたら、よっぽど頭の温かい人か、鈍感な人だろうな(笑)」

 それでも、今まで自分が所属していた事務所から突然、師匠がいなくなるという事態に、何を思ったのだろうか。

「でも、それも師匠の選んだ道ですしね。しかし自分にとっては有り難いことでもあったんです。これで一歩を踏み出せる、事務所を出てフリーでやって行くきっかけにもなったわけだし。50歳で独立なんて、遅すぎたかもしれないけれど、そのきっかけを与えてくれたのも師匠ですから、感謝しかないですよ」

 独立前年の2019年には「町中華で飲ろうぜ」(BS-TBS)がスタートしており、他にもテレビとラジオのレギュラーがあった。独立したとはいっても大手ではなく、個人事務所。レギュラー番組は皆無になってしまうのではないかという不安があったという。

「対会社ではなくて、対個人で玉さんと仕事をしているんですと、番組のスタッフの方達に言ってもらえた。これは本当に嬉しかったですね。これはね、声を大にして言いたい。自分の信念を曲げずに生きていたら、どこかで誰かが見ていてくれるんです。それは会社の誰かかもしれないし、家族かもしれない。一人でもいいから、自分を見てくれている人がいると思えば、最後まで頑張れるでしょう。実際、このオレがそうだったんだから」

 大瓶ビールの内容量である「633(リットル)は大人の義務教育」。

 濃い目のチューハイを飲んで「いやぁ、かてぇな!」。

 出前のおかもちを見て「町中華のゼロハリバートン!」。

 数々の名(迷)言を生んでいる「町中華で飲ろうぜ」だが、この番組の誕生秘話も本の中で明かされている。

「驚くでしょ? 本当に偶然だったんですよ。たまたま、いつも通りオレが仲間とラーメン屋で飲んでバカ話しているのを見ていた構成作家さんが店にいて、というね。詳しくは本で読んで欲しいけど(笑)。でも、この番組のおかけで、新しいファンというか、オレのことを知ってくれる人が増えたのは嬉しいですね。番組のコンセプトと、今までのオレの生き方がピッタリ合ったというのも凄いよね」

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