【光る君へ】“素直でいい人”の紫式部に違和感…実際は清少納言を辛辣にこき下ろしていた

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面識はなかったかもしれない紫式部と清少納言

 このところ一条天皇(塩野瑛久)の后である中宮定子(高畑充希)の零落ぶりに、胸を痛めている視聴者が多いというNHK大河ドラマ『光る君へ』。なにしろ、兄の藤原伊周(三浦翔平)と弟の隆家(竜星涼)が流罪になり、彼らをかくまった挙句、みずから髪を切って出家してしまったのだった。

 第21回「旅立ち」(5月26日放送)では、生きる気力すら失ってしまった定子に、彼女に仕えるききょうこと清少納言(ファーストサマーウイカ)が胸を痛めている様子が描かれた。そして、ききょうはまひろこと紫式部(吉高由里子)のもとを訪れ、「食事もあまり摂らず、お腹の子の命も危ないと思うと気が気でない」と、定子の状態を説明し、なにができるかを相談した。これにまひろは、中宮から賜ったという高価な紙があるなら、それになにかを書いたらどうかと提案した。

 意を決したききょうは筆をとり、まひろのアドバイスどおりに春夏秋冬について書き、それが定子の心を動かした――。こうして『枕草子』が誕生した、という話だった。

 同時代に女流文学の最高峰を書き残した二人の作家。『光る君へ』では、当たり前のように交流しているが、現実には、二人が実際に顔を合わせたという記録はない。もちろん、面識があった可能性は否定できないが、なかったかもしれない。いずれにせよ、紫式部が清少納言に『枕草子』の執筆をうながすほどの深い交流はなかったと思われる。

 だが、そもそも二人の生涯についてはわからないことだらけなのだから、ドラマ化にあたっては、さまざまに脚色する必要がある。二人が交流していたように描いても構わないだろう。

 ただし、紫式部は清少納言が胸を痛めているとき、あのように真摯に相談に乗ってまじめに助言するような、まっすぐな「いい人」だったのだろうか。私には、そうは思えないのである。

清少納言を評した辛辣すぎる文章

 書かれたのが後年のこととはいえ、『紫式部日記』には清少納言について、次のように記されている。

「清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書きちらしてはべるほども、よく見れば、まだいとたへぬこと多かり。かく、人に異ならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし、行く末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづから、さるまじくあだなるさまになるにはべるべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ」

 これは概ね、次のように訳すことができる。

「清少納言ほど、得意げな顔をして哀れな人はいません。あんなにかしこぶって、漢字を書き散らしていますが、書いたものをよく見れば、十分でないことが多いです。自分は人と違って才能があると思って得意になっている人は、必ず見劣りがして、将来も悪くなるばかりでして、風流を気取っている人は、まったくなんでもないときも、いかにも風流であるように振舞い、興趣があることは見逃すまいとしているうちに、自然と誠実さに欠けてくるものです。そんなふうに軽薄になってしまった人の将来は、どうしてよくなるでしょうか」

 紫式部がこれを書いたのは、藤原道長の長女で、一条天皇のもとに入内した彰子のもとに出仕してからのことだ。したがって、彰子のライバルであった定子のサロンで働いていた清少納言に、必要以上に対抗心を燃やした可能性はある。

 そうだとしても、紫式部が『光る君へ』のまひろのように素直な「いい人」であったとしたら、仮に清少納言とは直接の面識がなかったとしても、何年かのちに、これほど辛辣にこき下ろすとは思えない。この文章、根っから意地悪で、いつも人の粗探しをしている人にしか書けないように思えるのだが。

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