国松警察庁長官狙撃事件 中村泰受刑者が明かしていた「狙撃手がトドメの一発を撃たなかった」理由

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ゴルゴ13は高望みとしても

 第2回【国松警察庁長官狙撃事件 朝鮮人民軍のバッジと韓国の硬貨はなぜ現場に置かれたのか 中村泰受刑者の手記】からの続き

「私は先年のK巡査長のようにはなりたくありません。ゴルゴ13は高望みとしても、せめて“長官襲撃ティーム”の一員ぐらいの座は占めたまま、歴史の闇の中に消え去りたいのです」

 これは、5月22日に東日本成人矯正医療センターで死亡した中村泰(ひろし)受刑者(94)がかつて弁護士を通じて公表した手紙の一部分である。中村受刑者は1995年3月30日に警察庁長官・国松孝次氏(当時)が狙撃された「国松事件」について関与を“自白”しながらも、「否定も肯定もしない」という“曖昧な”立場を取り続けた。

 では、実際の言葉でどのように事件を語っていたのか。中村受刑者が「新潮45」に寄せた手記は、狙撃犯を「ゴルゴ」と呼び、第三者として事件を見た「ノンフィクション・ノヴェル」(原文ママ)という趣向だ。全文公開の第3回では、放たれた弾丸4発のうち3発目以降の様子、さらにトドメの一発を撃たなかった理由について綴られた部分を掲載する。

(「新潮45」2004年4月号「独占手記 国松長官狙撃犯と私」再録:全3回の第3回)

 ***

 ここで、第二弾の命中箇所から、そのときの状況を再現してみよう。当たったのは左腰の上部である。ゴルゴがわざわざそんな箇所を狙うとは思えない。そこしか撃てなかったのだとみたほうがよい。

 とすると、長官は強力なエネルギーを持っている357マグナム弾に背後から突き飛ばされる形になり、頭から突っ込むようにして地面に倒れたのだろう。多分、足を踏み出そうとして前方に体重がかかっているような姿勢であったとみられる。これを射手の位置から見ると、腰で折れ曲った上半身は水平かそれ以下になり、腰部の蔭になってしまう。おそらくは、心臓のあたりに狙いを向けようとしていたスナイパーは、ターゲットの姿勢の急激な変化に合わせて、腰部を撃つほかなかったのであろう。発砲したのは、相手の体が接地する寸前ぐらいではなかっただろうか。

 ともあれ、路面に倒れ伏した長官は、全身を銃口の前にさらけ出した。どこでも狙い撃てる状態になったのだ。しかし、離れているために射入角が浅くなるので、硬い頭蓋骨による跳弾作用を考慮すると、頭部への射撃の効果は不確実である。胸部の枢要部の少し手前を狙うほうがいい。三発目の照準を合わせようとしていたスナイパーの目前で、再び予期しない異変が起こった。

 傍らにいた秘書官が、素早く長官の体の上に覆いかぶさったのである。発射寸前に標的は消えた――と見えた。だが、左隣から咄嗟に伏せた秘書官の体は、長官の体に対してやや斜めになった。それで、右股から下の部分は覆いきれなかったのである。スナイパーはそれを見逃さなかった。

 ゴルゴの真の凄さはこの第三弾にある、と私は思う。あるレポーターは「針の穴に糸を通すような」と書いた。まさに、その通りだった。20数メートル離れて放たれた弾は、秘書官のズボンすれすれに、露出した大腿部の最上部へ撃ち込まれたのである。これは大腿部大動脈の破断を狙ったものかもしれない。通常のフル・メタル・ジャケット弾(被甲弾)に較べて、ホロー・ポイント弾は創傷を広げて、その可能性を数倍に高めるはずだからである。

 私は、小説の中では、次のような場面を挿入することを考えていた。疲れ果てた秘書官が汚れたズボンを穿き換えるために脱いだとき、ふと、股の部分に線状の糸のほつれを見つける、それが銃弾がかすめた痕跡と気付いて、今さらに戦慄するという情景である。しかし、実際には、負傷者の血に染まり、粗い路面にこすられて汚損したズボンに、そんな微妙な痕跡を見出すことはできなかっただろう。

 この後すぐに、秘書官は長官の体を傍らの植込みの下部のコンクリート部分の蔭に引きずり込んだとされている。では、どうやって引き入れたのか。両腕を掴んで、あるいは両脇に手をかけて、引っぱったという説明もあった。確かに、それが一番簡単な方法ではある。

 しかし、そうではあるまい。なぜなら、それでは、せっかく身を以てカヴァーした長官の体から、一旦離れなければならない。ゴルゴがそのチャンスを見逃すはずがない。私は、四発目はそのとき発射されて逸れたのではないか、とも考えてみた。しかし、それなら弾痕がその近くに残るはずだが、全く見つからなかった。後日、この第四弾は全然違う場所で発見されたのである。

 ゴルゴは、最後の弾を長官に向けては撃たなかったのである。いや、撃てなかったのだ。人間の楯で守られていたからである。

 では、長官の体を敵の銃口に晒すことなく運ぶには、どうすればよいか。私はモデルを使って実験してみた。まず、射手の方へ背を向けたまま、俯せの人体を持ち上げようとした。これにはその体を跨がなければならないので、下半身が第三弾のときよりも広く露出してしまう。

 次に、膝をついて前屈みになり、相手の体を抱き上げ、そのまま横歩きで移動してみた。不可能ではなかったが、とても敏速には運ばないし、体の一部は露出してしまう。

 最後の方法は、相手の体を抱いたまま四分の一回転して、横抱きの形をとり、その姿勢のまま、主として足を使って這い動くことである。これも楽ではないが、実用的には一番効率がよかった。私はこれが最も可能性が高いと考えたのだが、結果はやはり正解だったようである。当の秘書官(小堀警視)の調書に、そう記されていたのだ。柔道の寝技の応用だとも述べていた。もっとも、私が直接この調書を読んだわけではないので、真偽の保証はできかねるが。

 ゴルゴは大きな誤算をしたのである。秘書官の動きを計算に入れていなかったのだ。怯えて逃げ走らないまでも、突発事に仰天して立ちすくむか、身を守ろうとして伏せるか、あるいは、せいぜい倒れた長官の側に屈み込んで介抱しようとするくらいだ、と考えていたのだ。長官が倒れるや、間髪を入れずその上に覆いかぶさることなど、全くの予想外であっただろう。

 この事態に直面して、ゴルゴはどう感じたであろうか。「畜生! 出しゃばった真似をしやがって」と怒ったか。それなら、その激情に任せて秘書官をも撃ったであろう。

 では「どうせ、もう助かるはずはない、無駄な足掻きだ」と憫笑しただろうか。いや、彼は初弾に続けて、頭部か胸部へ止めの一撃を加えたかったのだ。かなり際どい第三弾の撃ち方は、それが果たせなかったことへの未練の現われとみてよい。

 すると、「キャリアの連中なんぞ頭でっかちの出世指向者とばかり思っていたが、こんな咄嗟の場合に身を挺して上司を守った手並みはSPにもまさるほど見事」と心中に賛嘆しつつ見送ったのであろう。まさしくこの勇者は、わが身を楯として長官の命を救ったのだ。勇士は勇士を知る。敵からの賛辞こそ最高の賛辞なのである。

 私にも、わが身に替えても守りたいと思う人はいた。しかし、このような咄嗟の瞬間に、少しもちゅうちょせずにそれができるか、と問われれば、「多分」と答えられるだけである。だが、この秘書官は、なんのためらいもなく実行した。「多分」ではない。

 瀕死の長官が応急の防壁の蔭に運び入れられたとき、スナイパーから見て左手の方から、公用車の前方を横切るように走り出てきた人影があった。これは、公用車が停っていた道路の先方に待機していた護衛車に乗っていた私服の警官であった。彼は連続する銃声を聞いて、E棟の方向に目を向けて、横たわっている長官と伏せている秘書官を認め、慌てて駆けつけようとしたのである。

 まだ銃を構えたままでいたゴルゴは、前方をほぼ真横に走るその影に合わせて銃口を滑らせた。その警官がこちらへ向かってくるのであれば、容赦なく撃ったであろうが、射手には目もくれず、というよりも全くそんな余裕はなく、まっしぐらに植込みの蔭を目差していたのである。まず危険はあるまいと判断したスナイパーは、銃口を僅かに逸らせて発砲した。

 おそらく、ゴルゴの任務は長官一人の暗殺であり、自衛のため止むをえない場合を除き、他の者には危害を加えないというものであったのだろう。それは、長官の間近にいた秘書官を慎重に避けて、全く傷つけていないことからも推察される。したがって、この第四弾も、応射や追跡をさせないための威嚇牽制が目的であったと思われる。

 後に判明したこの銃弾の着弾箇所と発射位置とを結ぶ弾道から推測すると、公用車の手前付近での高さは百三、四十センチである。その警官の身長を百七十センチぐらいに見積もると、胸の位置となる。しかし、彼は直立歩行してきたわけではない。おそらく、前のめりに屈むようにして全力疾走していたであろう。すると、弾は首のあたりをかすめたのではないか。これは、銃弾が空気を切り裂く音を聞かせるためだったのかもしれない。

 私は、このことをその警官の調書で確かめてみたいと思ったが、また考え直して止めた。よほどの馬鹿正直者でないかぎり、弾の風切り音に怯えて物蔭に伏せて震えていたなどという口述をするはずはないからだ。

 とにかく、そうだとすれば、第三弾の場合と併せて、かなりに際どい狙撃である。このスナイパーは、よほどの自信があったに違いない。

 その動作を目撃した人はごく少数だが、銃声を聞いた者はそれより多い。その証言を綜合してみると、初めはバン、バン、バンとほぼ等間隔で三回聞こえ、それから四、五秒たって最後の銃声が響いたということになる。

 この等間隔というのが、一秒ちょっとぐらいに感じられたそうである。固定した同一の標的を撃つときでさえ、20数メートル離れた所から、この短時間で連射するのは容易なことではない。まして、この場合は、標的の位置も状態も急激に変化している。それに合わせながら、殆ど機械的に連射して命中させているのは、恐るべき熟練度というほかはない。私が、あえて「ゴルゴ」という敬称(?)を進呈した所以である。

 このような相手に対抗して、護衛の警官が応戦することを避けたのは、賢明な処置であった。さもなければ、25メートルも離れた壁の蔭にいて、拳銃とその背後の顔の三分の一程度だけという小さな標的に、彼らが自分の38口径3インチ銃身のニュー・ナンブM60の照準を合せ終える前に、眉間を撃ち抜かれていたことは確実であっただろう。

 しかし、それでも全く打つ手がなかったわけではない。コンクリートの壁の上に、拳銃だけを出して、斜め上方へ向けて一、二発発射して、すぐに引っ込めるのである。こうしておけば、後刻、護衛は果敢に応戦して、襲撃者を撃退し、長官の身を守った、という公式発表ができる。まあ、場馴れしていない警官に、それだけの老獪さを求めるのは無理ではあろうが。

 さて、この後、ゴルゴは私服警官が飛び込んで隠れた植込みに向けて銃を凝したまま、その出方を窺っていたが、応戦の気配がないことを見定めて、身を引いた。

 やや火照っているパイソン・ハンターを、撃鉄を戻しながらホールスターに収める。次いで、床からスポーツ・バッグを持ち上げ、そのバンドを肩から斜めに掛けながら、自転車へ走り寄る。それに跨るや、猛然とスタートして、F棟沿いに西へ向かって全力で走る。その建物の西端に達したところで、速度を緩め、隣の建物との間を通して、河畔沿いの通路の方を窺う。護衛の車が先行して、退路を絶つために回りこんでいないか、確かめるためである。

 もし、ここで先回りしていた車から警官が出てきたとしたら、どうしたであろうか。再びパイソン・ハンターを抜いただろうか。いや、それはあるまい。もはや、一発しか撃てないからである。計算上の残弾は二発だが、四度目の発砲の後で撃鉄を起こしているので、弾倉が一発分だけ回転してしまっているからだ。

 かといって、肩に掛けたバッグを開け、マシンガンを取り出し、弾倉を挿し込んで構える、という時間的余裕はあるまい。結局は、腰のホールスターから予備の拳銃を引き抜くという一瞬の対応が最適である。私が、モノ(道具)の考察の部分で、述べたバックアップ・ガンというのは、まさにこういう事態への備えなのだ。

 ゴルゴは側方に敵影がないのを確かめると、次いで、後方を窺ったが、追ってくる者はいない。左手奥の管理棟の前で、管理人らしい人物がこちらを見ているが、妨げにはならない存在なので、それは無視して再び加速する。直角に近く針路を変え、「タワーズ」沿いに南へ向かって走る。その建物が切れた所に、敷地の外へ向かう通路がある。そこへ乗り入れた自転車は、下り坂での急加速をやや抑え気味に走り下り、アクロシティの外へ出た。

 これ以後、ゴルゴの姿を見た者はない。各所でそれらしい自転車に乗った人物を目撃したという情報はあったが、そうかもしれないし、そうでないかもしれない、と言えるだけのことだ。

 もう少しましな手がかりは、自転車そのものである。スナイパーが支援班の車に移乗した地点の近くには、その自転車が置き捨てられていたはずだから、それを発見すれば、そこまでの足取りはわかる。

 だが、それとて消失点が数百メートルほど延びただけにすぎない。一旦、消えてしまった者は、二度と現われることはない。それでこそ「ゴルゴ」らしい事件の結末になる。

中村泰

デイリー新潮編集部

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