愛子さまの「幸せな猫ちゃん」エピソードを横尾忠則が振り返る 天皇ご一家と“猫談義”で大盛り上がり

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 春の園遊会に招待を受けて、赤坂御苑で天皇皇后両陛下と愛子内親王殿下への謁見に与(あず)かる名誉ある機会をいただきました。天皇陛下と皇后雅子様に拝謁するのは二度目で、前回は昨年秋だというのに、非常に懐かしい気持ちで再会させていただきました。

 陛下は開口一番、「横尾さん、どうも今日はようこそいらっしゃいました」とおっしゃいました。そして、宮内庁を通して、僕の展覧会「Y字路」のカタログと猫のタマの本をお送りしていたことから、「ご本とお便りをありがとうございました」というお礼のお言葉をいただきました。

 そして雅子様は、「タマちゃんの絵を九十何点もお描きになって……。写真をご覧になって描くのですか」と猫の話をされたのです。

 その時、雅子様は小さい可愛い赤いバッグから猫の写真をたくさん出されて、次のようにお話しされました。

「猫を2匹飼っております。この子はここ(赤坂御苑)で生まれて。(写真の)この時は、野良だったのですが、今はこんななんです。12年ほど前、愛子が3年生ぐらいの時で、これがお母さん、これが4匹の子供たちです。ここに住んでいた野良猫を保護しまして、お母さんとこの子供のうち1頭をうちで育てて、今はこんなです」

「この子はうちのタマに似ていますよ」と僕。

「私も本を拝見してちょっとタマちゃんに似ているかと思いまして。これがもう1頭の今いる猫で、これは東京都内で保護された猫で。この子たちが初めての猫で、このお母さんが野良だったんです。このお母さんがここに住んでいて、今はお母さんはもう……」

 亡くなったようですね。

「この子が子供の1頭で、あとの3頭は愛子のお友達に差し上げて。今はこんなで、丁度この池の向こう側で、もうこの子は14歳になりまして、こちらが8歳……」

 一枚一枚写真の猫を指して雅子様の猫談義はまさに興に乗って来られたのですが、僕もふと我に返って、ここが園遊会の場だということを一瞬、忘れかけていたことに気づきました。おあとを待っておられる方がいらっしゃるように思ったら気になってきました。僕は雅子様との猫談義が終わるのが名残り惜しくなったのですが、「Y字路の素晴らしい絵も沢山お描きになって……」と雅子様。すると、難聴の僕にはちょっと聞き取れなかった部分があったのですが、陛下も「西脇の」とお話しされたのです。

 これは後日談になりますが、陛下から「西脇」というお言葉を聞いて、僕は翌日、さっそく西脇市の片山象三市長にこのことを報告したところ、市長は大変感動されて、「光栄です」とのメールが届きました。

 さらに雅子様が「今、新聞で連載されていますね」とおっしゃると、陛下は「読ませていただいております」。そして雅子様から「5歳の時にお描きになった絵が素晴らしいですね」とお褒めの言葉をいただきました。

 丁度、朝日新聞で「人生の贈りもの」が連載中で、その記事をご覧になってのご感想だと思いました。宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島での決闘場面を描いた絵のことについてですが、僕は緊張のあまり何んて言葉を返していいのやらわからずに、ついつい「あれ以上のものは今描けないです。あれが一番の傑作です」なんて語ったものだから、お二人は返答に困られたご様子でした。

 僕はソワソワして、「僕がひとり占めしているような気がしまして申し訳ございません」と言うと、そこへ雅子様が「今も何か描いておられて?」。来年4月に世田谷美術館で行う個展の作品を制作しているので、

「ハイ、もう毎日描いてます。それ以外にすることがないんです」

 最後に陛下から「これからもどうぞお体に気を付けて、世界の美術界に貢献をなさってください」と有難いお言葉をいただきました。

 その後は、秋篠宮殿下ご夫妻の横に立っておられた愛子様が、「初めての園遊会で緊張しております。ご本をありがとうございました。最初にタマちゃんが亡くなった日のことを書かれておりましたので、読み込んでいくとタマちゃんの生涯が書かれているのだろうと思いました。今、拝見しております」と再び猫談義。

 僕は、「今、両陛下から沢山の猫の写真を見せていただきました」。

「昨晩、横尾さんにお見せしたいと写真を選んでおりました。ところで、奥様と横尾さん、どちらのほうが猫をお好きなのですか」

「ハイ2人共猫が大好きです。今は、おでんという猫がいます。もう1匹は野良ですが、この子がどんどん太っていきます」

「幸せな猫ちゃんですね、どうしておでんというのですか?」

 おでんの名の由来を説明すると、大変長くなってしまうので簡潔に、

「ハイ、食べるおでんが好きですので。愛子様は犬もお好きですよね?」

「ハイ、犬もおりまして、猫とは別の部屋におります」

 このあと、実は三笠宮信子妃殿下とのお話の最中に突然、芝生の上に倒れてしまい、救急センターに退避することになりましたが、しばらく安静にしたあと、国立国際医療研究センターの知人の先生を訪ねて何んとか体調が回復しました。

 当日は早々に寝てしまい、テレビのニュースは見なかったのですが、後日ユーチューブを見ると、僕はまるで米つきバッタみたいに頭をペコペコ下げ続けていました。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2024年5月30日号掲載

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