73歳も現役バリバリ…生島ヒロシが明かす「老後サバイバル術」とカイロを使った「とっておきの体調回復術」

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体を冷やさないこと

 生島氏は若き日から現在に至るまで、ずっと前向きで活力に満ちている。1971年には法政大を3年で辞め、単身渡米し、カリフォルニア州立大ロングビーチ校ジャーナリズム科に入学した。

「当時は1ドル360円。海外に行く人自体が少なかった。けれど僕の場合、親に小学生のころから『これからは国際化の時代』と言われ続けていたのが大きかった。アルバイトをして、30万円ぐらい貯めて、飛行機に乗ったんです」

 米国暮らしが始まると、学費と生活費も自分で働いて捻出した。1975年に同大を卒業。アナウンサーになるため、TBSを受けるが、当時の同局には海外大卒業生の採用例がなかった。それなのに生島氏は強気の姿勢で試験に臨む。面接官とのやり取りは局内で伝説化している。

「『合格しても僕は一生TBSにいるつもりはありません』と言ったんです。まだ採用も決まってないのに(笑)。ただ、米国で暮らしたので、終身雇用は当たり前じゃないって考えでした。バリュー(能力)次第で、フリーになってもお金は得られると思っていた。米国はアルバイトの雇用制度でさえ日本とは異なりました。ホテルで週に5日働けていたのが、経営者の都合で一方的に4日、3日、2日と減らされるんです」

 生島氏の活力はどこから生まれるのだろう? 世間一般が抱く73歳のイメージと違って若々しく、早朝の番組をやっているのに疲れを見せない。

「夜11時くらいに寝て、朝4時くらいに起きるんですが、調子が悪いこともあるんですよ。そんなときには体にカイロを貼るんです。肩甲骨の間や腰などに7枚ぐらい。すると、体がポカポカして血流が良くなり、20分くらいで完全に回復するんです。また、がん細胞は35度台の低体温のときに最も活発になるとされていますので、がんを防ぐためにもいいと思っています」

 アナでありながら、さまざまなジャンルの本を出し続けているのも異例だ。

「好奇心が強いんですよね。興味を持てることが多いというか。学んだことが全国で500万人のリスナーに話せる喜びも大きい」

 総合芸能事務所「生島企画室」を経営している。これもアナとしては異例。過去、NHK出身の故・高橋圭三氏やNET(現・テレビ朝日)出身の押阪忍氏がアナ事務所を立ち上げたが、総合芸能事務所を経営したアナはいない。

 生島企画室には俳優の浅野温子、池畑慎之介や作家の今村翔吾氏、吉川美代子キャスター、タレントの元AKB48・武藤十夢、元乃木坂46・松村沙友理などバラエティに富んだ面々が所属している。

「誰かのために役に立ちたいという性分なんですかねぇ。祖父が宮城県気仙沼市で高校の教師をしていたのですが、その教え子の1人である社長さんが影響しています。社長さんは戦後、実業家として大成功されて、燃料関係の会社や映画館5軒などを経営していたのですが、とにかく面倒見が良かった。困っている人がいたら、誰彼となく世話をした。その人を子供のころに見ていた僕は『面倒見が良いってことは素晴らしいな』と思ったんです。社長さんみたいになりたいという気持ちが子供心にありました」

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社し、放送担当記者、専門委員。2015年に毎日新聞出版社に入社し、サンデー毎日編集次長。2019年に独立。前放送批評懇談会出版編集委員。

デイリー新潮編集部

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