プロレス史上最高視聴率「64%」…力道山vsザ・デストロイヤー戦「4の字固めの真実」
高視聴率の真相
その後もデストロイヤーはグレート東郷、ジャイアント馬場を下し、遂に5月24日の力道山との再戦を迎える。これについては、極めて過酷なルールがついた。「フォール・カウントなし。決着は、ギブアップ、リング内外におけるKO(リングアウト含む)のみ」。デストロイヤー側の要求だったというが、既に力道山を一度沈めている4の字固めでの決着を狙っていることは明らかであった
この特別ルールに対し、力道山も、こう返答している。
〈気に入った(中略)。こうなれば“目には目”であり、“歯には歯”だ〉(『スポーツニッポン』1963年5月24日付)
会場の東京体育館には超満員となる1万2000人が集まり、テレビカメラの1つは、天井にも設置された。4の字固めの「4」をわかり易く伝えるためである。中継は金曜日の夜8時からスタートし、実際、力道山vsデストロイヤー戦が始まったのは、午後8時32分(33分説もあり)。まともな攻防は、開始5分までで、以降はデストロイヤーが覆面に凶器をしのばせて頭突きしたせいで力道山の額が割れ、流血戦になった。その上、噛みつきに、場外戦での椅子の殴打と、暴れまくった。同試合を観たプロレス評論家の菊池孝さんはこう言っていた。
「リキさんの流血がひどくて、リングサイドの客が手持ちのタオルを何度も力道山に向けて差し出してたよな」
負けじと力道山も伝家の宝刀、空手チョップをくり出す。それも、胸だけでなく、脳天や首筋にも見舞う。その数、計62発。すると、デストロイヤーの口からドッと血が噴き出した。顔面へのチョップで前歯が4本折れたいせいで流血したのだ。不利と見たデストロイヤーは20分過ぎ、下腹部打ちから、遂に4の字固めへ。だが、力道山はかけられた体勢から反転して逃げようとする。「4の字固めは反転されると、かけた側が痛い」という通説は、この試合から言われ始めたらしい。互いに粘り合い、その間、8分。最後はレフェリーのフレッド・アトキンスが、「これ以上続けても無理」と、「両者レフェリー・ストップ」の裁定を下した。余りに両者の足が深く絡み合っていたため、それを外すために、リングシューズの紐をハサミで切ったとも言われている。
確かに壮絶な試合である。試合タイムは、28分15秒。筆者はあることに気付いた。
試合開始時間は、午後8時32分。番組は生中継で、試合は28分後に決着がついた。すると、終わったのは午後9時となる。ということは、午後8時54分に終了する「日本プロレス中継」では、最後まで放送できなかったのではないか。すると、プロレス史家の年長の知人が、貴重な事実を語ってくれた。
「この時の力道山vsデストロイヤーは、放送時間を延長したんですよ。午後9時15分までだったと思う。当時、生中継に入り切らない試合を、延長して放送するのは、それほど珍しいことではなかった」
この話を聞いた後、ある貴重な資料を入手した。この試合の、分刻み視聴率データである。
先ず、出だしの8時は43.3%(試合は豊登vsキラー・コワルスキー)。力道山vsデストロイヤーが始まる8時32分から、68.2%という高視聴率を記録する。そして、注目は午後8時52分から。この時間帯になると、他局の番組の本編はほぼ終わり、CMだけになる。偶然にも、この時間あたりから、4の字固めのしのぎ合いが開始。もちろん、斬新で目をひく天井カメラからの映像も差し込まれたことだろう。
この8時52分から視聴率は71.7%に高騰。これが同58分まで続き、59分には、遂に瞬間最高視聴率となる72.7%を達成。これはまさに力道山が4の字固めを耐え抜いた最後の瞬間だった。他局の番組空白地帯であることを示すように、この時間帯の番組占拠率も80%を超えていた。そう、放送時間を延長したことで、日本テレビに視聴が集中。この時間にハイアベレージな数字を記録したのだ。これが力道山vsデストロイヤー戦が空前の視聴率になった原因の1つだ。
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