プロレス史上最高視聴率「64%」…力道山vsザ・デストロイヤー戦「4の字固めの真実」
歴代高視聴率番組でも4位
2024年は、プロレスラー・力道山の生誕100周年である(1924年11月14日生)。
街頭テレビに群衆を集め、ひいてはテレビの普及にも貢献した同選手の白眉と言えば、1963年5月24日におこなわれた、ザ・デストロイヤー戦だろう。日本テレビ系列で生中継された試合は、平均視聴率64.0%(ビデオ・リサーチ調べ)を叩き出し、現在でも、歴代高視聴率番組の4位にランクインしている。
【写真を見る】力道山刺傷の現場となった「ニューラテンクォーター」
2006年、朝日新聞がおこなった「心に残る高視聴率番組は?」のアンケートでも、ドラマ「おしん」や、ニュースの「浅間山荘事件」、ビートルズ日本公演と並び、この力道山vsデストロイヤーが10傑のうちに挙げられている(3月1日付朝刊紙面より)。
当時、金曜日の午後8時から放送されていたプロレスは、最大の娯楽番組であった。63年の「日本プロレス中継」の2位以下の視聴率は以下となる(日付は放送日)。
・53.9%(力道山、豊登、グレート東郷vsジノ・マネラ、キラーX、パット・オコーナー。3月29日)
・51.9%(力道山vsキラー・コワルスキー。5月17日)
・51.8%(力道山、吉村道明、マンモス鈴木vsトニー・マリノ、ジ・エクスキューショナー、ミスター・ブルート。2月15日)
いずれも50%を超えており、改めて見ても凄い数字だ。とはいえ、力道山vsデストロイヤーは、2位以下に10%以上の大差をつけている。なぜ、この試合は、群を抜いて視聴率が高かったのか。その意外な理由を解き明かしたい。
日本初登場時のデストロイヤー
「通気性の良いマスクに合う素材を探していたら、女性の下着を逆さに被るのが、一番良かったんだ。妻とよく女性下着売場を漁ったものさ(※マスクは夫人のお手製)。どおりで着け心地が良いわけだよ!(笑)」
マスクマン変身にあたり、こんな意外な真実が本人の口から飛び出すほど、日本で愛されたデストロイヤー。伝説のバラエティ番組「うわさのチャンネル」における、和田アキコとの共演も知られるところだ。外国人プロレスラーとして初めて旭日双光章を受賞したのも、このデストロイヤーである(2017年)。
もっとも、デストロイヤーの日本初登場は衝撃的かつ、恐るべきものだった。1963年5月17日、決戦のちょうど1週間前におこなわれた「第5回ワールドリーグ戦」優勝戦のリング上に「顔見せ」という形で現れたその姿は、スーツに覆面着用という奇妙な出で立ちで、なんとなく滑稽でもあった。ところが、力道山と決勝を争うキラー・コワルスキーが友好の証とばかりに手を差し出すと、握手には応じず、いきなりその頬を張ったのである。
当時のデストロイヤーはWWA世界王者だった。「俺に気安くするな!」という意味だったか。突然のことにコワルスキーは動けず。これだけで、「デストロイヤーは、コワルスキー以上に怖い」というイメージがついた。
そして、なんといっても彼の代名詞ともいえる「足4の字固め(以下、4の字固め)」が新鮮だった。羽田国際空港に初めて降り立ったデストロイヤーは、即席の会見の場で記者相手にこの技を初披露し、悲鳴を上げさせたのだ。
来日2日後(5月19日)には、日本での初試合に臨む。相手は力道山で、シングルの3本勝負だったが、かみつき攻撃で力道山を流血させたかと思うと、1-1から、最後は僅か0分57秒で、4の字固めで力道山からギブアップを奪った。
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