麻倉未稀 乳がん発覚で文字通りの「八方ふさがり」を経験… 改めてわかった名曲「ヒーロー」の偉大さ

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経験を伝えるため

 手術当時は復帰に向けた思いが強かったというが、「2年ぐらいすると、怖かったなと感じましたね」と明かす。

「手術後に95%は大丈夫と言われていましたが、手術を無事終えたのなら、何かをやらなきゃ」との思いにかられ、翌18年、乳がん経験者としての体験を伝えるため、元プリンセス・プリンセスのドラマー、富田京子と「ピンクリボンふじさわ」を立ち上げた。富田は乳がん経験者ではないが、友人に経験者がおり、「経験者と経験者じゃない人との双方で何かを伝えていけたら」との思いを共有した。

「最近はすごく正しい情報がたくさん出ているし、拠点病院であれば支援センターもあるけれど、わずか7年前なのに、当時はネットで検索してもなかなか正しい情報にヒットしなかった実情がありました。がんを告げられた人が、いろいろ検索しても正しい情報がなかなか出てこない状況は、精神的にも参るんです」

 自身の体験談を交えながらそう説明する。

「『ヒーロー』を歌って、みんなに頑張れと歌っている立場なので、私は頑張れないとは言えない。一緒に頑張ろうよという状況を作りたかった」

 乳がんの寛解には10年の経過観察が必要なため、まだ麻倉自身も寛解したとはいえないが、さらにがん患者を支援する仕組みづくりを進める。実行委員会方式である「ピンクリボンふじさわ」では施設を作れず、それができるようになるためには法人化が必要と分かり、20年にはNPO法人「あいおぷらす」を設立。地元のクリニックの院長を理事長に迎え、麻倉が副理事長、富田が理事を務める。

今でも観客の背筋が伸びる

 そんな活動をしながら、麻倉が感じるのは、『ヒーロー』という曲の偉大さだという。

「今でもコンサートで『ヒーロー』歌います、というと、不思議と会場の皆さんにビシッとスイッチが入るんですよ。皆さんの背筋が伸びるというか」

 あの疾走感がある印象的なイントロが流れると「腰が浮く感じになってイメージが伝わるんでしょうね。歌っている私と聴いているお客さんで互いにエネルギー交換をさせてもらっている感じです」と麻倉はほほ笑む。

「歌はずっと歌っていきたい」と望み、大人っぽいとされた20代の頃より、年齢を重ねた中で、「さらに大人の歌であるシャンソンやカンツォーネも歌っていきたい」という。中でもイタリアの歌手、ミルバが歌った『愛遥かに』を歌いたくて、作詞家の松井五郎に訳詞をお願いし、「いつかレコーディングしたい」と意気込む。

 一方で、『ヒーロー』は「ずっと歌わなきゃいけない曲」と断言。「歌を歌う前段階となる体づくりのために呼吸法も体得し、それをプロの歌手の方にも伝えています」

 これまで自らが経験してきたものすべてを財産として、歌を聴く人やがんを患う人たちを勇気づけていく気構えに、一分の揺るぎもない。

デイリー新潮編集部

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