「西武の次期監督候補」工藤でも秋山でも西口でもない有力OB浮上 過去に遺恨も…今春の“雪解け”で「受諾に支障はない」
「二度と西武のユニホームを着ることはない」
それは、黄金期メンバーの捕手で、監督としては04年に日本一に輝いた伊東勤氏(61)だった。
伊東氏は07年限りで西武監督を退任した後、韓国プロ野球斗山のコーチを経て13~17年にはロッテ監督を務めている。確かに現役時代の実績に加え、海外を含めた指導経験は次期監督の適性があると言えるのだが……。
引っかかってくるのは西武監督を退任した際に球団フロントと対立したことだ。形式上は辞任として発表されたが、実情は解任だった。
最終年となった07年、伊東氏に目をかけ、監督にまで引っ張り上げた堤義明氏は既に不祥事でオーナー職を辞していた。同年開幕前には、球団が過去にアマチュア選手に裏金を供与していた問題が発覚。いわゆる「囲い込み」で西武球団職員から入団していた伊東氏の過去が、球団の黒歴史を想起させたことも重なった中で、当時のフロント陣から辞任に追い込まれた形となった。監督として最後の試合となったソフトバンク戦では球団が花道を用意しなかったため、敵の王貞治監督に自ら花束の贈呈を依頼したのは有名なエピソードとして残っている。その後、伊東氏は「二度と西武のユニホームを着ることはない」と言い切っていたほどだ。
OB戦出場要請を快諾
18年のクライマックスシリーズ(CS)のファーストステージ、伊東氏が率いていたロッテは西武を倒した。伊東氏の「優勝したみたいな気持ち。これまで『(西武のチームカラーの)青い血から(ロッテの)黒い血に変わるんだ』と言ってきたが、今日で黒い血に変わった」との言葉には両者の溝の深さが凝縮されていた。
ロッテ監督を退任した後の19~21年は中日でヘッドコーチを務めた。西武との絶縁状態は15年以上も続いたままだった。
しかし今春、伊東氏と西武の関係に雪解けの兆しが表れた。西武は3月の開幕前に球団初のOB戦を開催。この試合に伊東氏に参加を要請し、快諾を得たのだった。昨冬に伊東氏がメンバーの一員として発表されると、「ついに和解か」と過去の確執を知る関係者の間では密かに話題を呼んでいた。
「まさか伊東さんが球団のイベントに参加する時が来るとは……。辞めたときに、もめたフロントの人たちはほとんどがいなくなったことが大きかったのでしょうが、二つ返事で引き受けてくれたということは時間の経過もあって、わだかまりは解消されたということでしょう。球団のOB回帰の路線にも合致していますし、伊東さんの周辺からは、来季からの監督就任を要請しても受諾に支障はないという感触を得ています」(前出の球団関係者)
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