6月開始「定額減税」で手取りが増えても一時的 納税は絶対的な「義務」なのか
物価高を背景に、6月から所得税と住民税の定額減税が行われる。給与から差し引かれる税金が少なくなることで手取りは増えるものの、あくまで一時的な措置。年々増える社会保障費などを考えれば、今後、税負担は増えることはあっても減ることはないように思える。
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とはいえ、「税」はなるべく支払いたくないというのが、多くの人に共通する思いだろう。納税は絶対的な「義務」なのか。
京都大学大学院教授の諸富徹氏は、著書『私たちはなぜ税金を納めるのか 租税の経済思想史』(新潮選書)で市民にとって納税とは何かという問いについて、イギリスとドイツを例に挙げ、それぞれの社会的背景を通して紹介している。一部を抜粋・再編集してお届けしよう。
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イギリスでは「権利」が定着
税金を納めることは「義務」なのか、それとも「権利」なのか。
これはたしかにむずかしい問題で、両方だという抜け目ない答え方もあるだろうが、市民革命後のイギリス社会では、それを「権利」とみなす「自発的納税倫理」が定着していった。自分たち市民が作りあげた社会を維持してゆくために、その必要経費として、あるいは国家による生命と財産の保護にたいする対価として、市民みずから積極的に負担すべきだという理解である。これは現代に至るまで、近代国家の租税理論の主流をなしている考え方である。
だが、一方で、納税とは「義務」であるとする理解が優勢だった国もある。19世紀のドイツである。なお、19世紀と言うと、イギリスでも租税にたいする考え方には変化が見られる。もうすこし正確に言うと、租税と国家の関係よりも別の問題、すなわち「市場」に関心がシフトしていった。アダム・スミスは18世紀末に歿したが、19世紀のスミス以降の古典経済学者たちは、国家を経済理論にとっての単なる「応用問題」として位置づけるようになっていったのである。経済分析にとって解明すべき問題は、むしろ市場を通じた経済社会の自立的なメカニズムであり、また資本がどのように蓄積されていくかというメカニズムのほうにあった。国家の経済活動は、価値を創出しないために「不生産的」と見なされ、市場の働きを補完する限りで認められる「必要悪」、あるいは「残余的存在」とされた。たとえばリカードの主著『経済学および課税の原理』(1817)における租税論では、いかに資本蓄積を阻害しない租税体系を構築するかという点に議論が絞り込まれ、経済分析が対象とする国家は、租税転嫁論という形で副次的な問題として取り扱われているにすぎない。ちなみに、この議論の延長線上に、政府は必要最小限度でよいという「小さな政府論」や「夜警国家論」が現れてくる。
「私益」を徹底的に追求しさえすれば
このようなイギリス的国家論は、豊かな経済的基盤に支えられた市民社会が充分に成長を遂げた当時のイギリス社会を背景としていた。しかし、19世紀のドイツ社会はまだそこまで成熟していない。封建諸勢力が強固で、新興市民勢力は押しつぶされそうになっていたから、自律的市民社会の全面開花を謳歌するような理論は望むべくもなかった。無数の領邦国家に分立して統一国家の体裁をなさず、ナポレオンの侵攻に対してはなす術もなく次々と敗退していったドイツが、イギリスやフランスといった先進国家に対抗して国民国家を形成し、統一市場を創出して発展を遂げるためには、国家がイギリスとは全く異なる役割を果たさねばならなかったのである。
市民がそれぞれに「私益」を徹底的に追求しさえすれば、結果としてそれが社会的に最適な秩序の形成につながっていき、個と全体の調和が幸福な形でもたらされるはずだというのがイギリス的な市民社会論であり、「原子論的・機械論的国家観」であった。ホッブズやロックの思想に顕著に見られたように、社会を形成してゆく出発点はあくまで「個」の側にあった。
ドイツでは国家と個人は運命共同体
ところが、それとは対照的に、後進国ドイツでは国家こそが社会秩序の形成者であり、社会の発展を促すための法的・経済的基盤を整えるという大きな役割を担う必要があった。ドイツ的国家論では、全体利益あってこその私的利益であり、全体利益と私的利益の間に矛盾や対立は発生しえず、両者はいわば一心同体であるとされた。図式化して言うなら、イギリス的国家論では国家が死んでも個人は残るのにたいして、ドイツ的国家論では国家と個人は運命共同体と捉えられたのである。
原子たる個人が国家を作るのではなく、市民社会と国家はあたかも生命体のように一体をなしているとするこのような「有機的国家観」は、ドイツ的な租税理論や、納税を「義務」と見なす倫理観に多大な影響を及ばした。いや、その前提となったとさえ言えるだろう。
※本記事は、諸富徹『私たちはなぜ税金を納めるのか 租税の経済思想史』(新潮選書)を再構成して作成したものです。